カニノケンカ大会でメチャクチャ面白いことが起こってたことを今更語らせてほしい (富山GamersDay 2020レポート)

 大会の開催から随分時間が空いて、この文章を書いているがそれには理由がある。

 

表題の大会について、あまりに面白かったことが起こりまくって語りたかったのは山々だったのだけど、客観的に見ると""コンプライアンス""的に問題だらけの事例だったからだ。

 


「王様の耳はロバの耳」と穴を掘って叫びたかったし(少しばかりは叫んだが)、この話は中々ボリュームがあるし、語るにもインディーゲームの話なので極めて少数に限られてしまう。

 

考えに考えた結果、少々周りと自分の身体を爆風で痛めたとしても、このブログを「穴」として書き記すことにする。

 

 

話は2020年10月に遡る。

 

突然インディーゲームである『カニノケンカ』での賞品付き大型大会が告知された。

 

しかも富山で。

 

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インパクトが強い告知画像

 

このイベント、『ToyamaGamersDay』とは不定期に富山県で実施されている複合型のeスポーツ大会である。


募集種目は格闘ゲームジャンルが主ではあるが、変わり種の大会タイトル選出が多くなされている。


この『カニノケンカ』大会の募集要項、何が凄いというとその賞品量である。

 

ご当地の紅ズワイガニを合わせて100杯以上。

 

結局優勝者に30杯、2位に12杯、ベスト16でも一人2杯という賞品の大判振る舞いがされていた。

 


カニノケンカは一部界隈で話題になった味があるゲームではあるが、正直50人も富山にプレイヤーが集まることは考えにくかった。


その中で1~2回勝てばカニがゲット出来る。

 

また2019年はキャサリン・フルボディを大会タイトルとして採択していただいていたという背景もあって、一度富山には行かなきゃなと思ってたところ、Go toキャンペーンやらもあるしで参加を決意した。

 


また簡単に「1~2回は勝てるでしょ」とか参加者なめてんのかと思われるかもしれないが、令和のクソゲーマイスターといっても過言ではない「へいほぉ氏」が割とカニノケンカをやり込んでたのを知ってたので、困ったら聞ける環境があるというのも大きかった。

(へいほぉ氏が作成した以下のムービーを見たら大体どんなプレイヤーか分かる)

 

 

 

発表から本番まで約1ヵ月。

 

最初の2週間はゲームの基礎システムの把握と自分に合うカニ選びに勤しんだ。

 

その結果得られたカニノケンカにおける対戦の特徴は以下の通りである。

 

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カニカニが戦う(たまにカニじゃないのもいる)

 

・使用出来るカニの種類はかなり多い(wiki参照)が、大別すると大体軽量級・中量級・重量級に分けられる。


・体力は某大乱闘のようにパーセント表記で蓄積される。数値が上がれば上がる程ひっくり返りやすくなる。


・ひっくり返って3カウント取られると負けだが、起き上がりさえすれば何回ダウンしても負けない。


・大体重いカニはひっくり返りにくくて遅い。軽いカニは早くてひっくり返りやすい。


素手カニは一部を除いて滅茶苦茶弱い。武器を装備してナンボである。


・武器は主に近接・大型・射撃・投擲・移動(乗り物)に分けられる。


・全てのカニで全ての武器を装備出来るが、使用感にはかなり差が出る。原因は手のついてる位置や可動域によるものである。


・例えば手が前についてて可動域が少ないロブスターは手にブレが少ないので射撃武器が得意である。例えば身体が大きく手足が長く可動域の広いタカアシガニは何でも振り回せるが、扱いが非常に難しい。


・50%ダメージを喰らうとハイパー化ゲージが溜まる。一定時間めちゃくちゃ強くなるが発動中はダウンしなくなることもあり、「後出し発動」が基本的に有利である。

 

 


以上のようなザっとした前提を基に残りの2週間ランクマッチに潜った結果、以下のような知見が得られた。

 

・強いカニ、というよりはある程度「使いやすいカニ」でランクマッチは構成されている。


カニの相性より圧倒的に武器の相性で有利不利が決定する「武器選びゲー」である。


・例えばでかいカニは近接戦で無類の強さを誇るが、逆に射撃や投擲武器に弱い。


・ただしステージも完全ランダムであるため、極端に狭いステージや広いステージが選ばれると相性が逆転する可能性もある。

 

 

ここから何が行われてたかというと、「マッチングした相手の名前で相手のカニと武器の構成を覚えて武器を被せる」という行為である。

 


当然被せられた相手は被せられた事実に気付くため、更に対策して被せることで周っている。

 

明らかに操作が上手すぎる数名が存在したものの、基本的には「武器さえ被せれば多少の腕の差は何とかなる」というゲーム性であることが理解出来た。

 

 


こうしてランクマッチでの練習を進め、全国20位程度までランクを上げることが出来ていたものの、どうしても勝てる気がしないプレイヤーが数名存在してた。


その内一人が面倒なことにへいほぉである。

 

前述したように相手に蓄積ダメージを与えてダウンを奪いにいくゲームであり、大体150%もダメージが蓄積すれば重量級のカニでもない限りは足元がフラフラになり転んでしまう。

 

そんな中へいほぉが扱う「ガザミ」は200%を超えてもなおアンバランスな体勢で耐えてしまうのだ。

 

 

自分でガザミを使って、武器も合わせて検証してみたもののこちらはすぐに転んでしまう。

 

明らかにへいほぉは何かを""やってる""…

 

 


そう確信して「お前、絶対何か""やってる""やろ」と聞いたところ、

 

へいほぉ「いや、ちょっとそれは企業秘密でして…」

 

 

 


やってた。

 

 

やってたのだがまぁいい。

 

今回のカニノケンカ大会は賞品もかかってるし、別に私は優勝を目指してるわけではない。


あくまでも目標はベスト16のカニ2杯、あわよくばそれ以上というところで、そもそもへいほぉに当たったらそれまでとして諦めようという気概でいこうと心に決めた。

 

 


このカニノケンカ大会であるが、この大会告知~開催までの一か月の間にもこの他色々な事があった。

 

・人気Youtuberのぽこぴーの参戦。

この参戦で大会の参加者は一気に増えることになる。

 


・様々なルール追加。


恐らく運営はノリでカニノケンカを大会タイトルとして選んでしまったがために詳細を詰めずにきてしまった。


レギュレーションは恐らく事前に開催されたVRChatでのカニノケンカ大会の動画を参考に組まれたと考えられる。

 

www.youtube.com

 

 

具体的には見栄えが悪そうなガン逃げ作戦が取れる「シャコ」の禁止。

合時間の短縮等である。

 

しかし大会の一週間程度前も追加のルール追加があった。

 

それは高軌道力を得れる「ジェット」やハイパー化を利用した高台へのガン逃げ戦法である。

このルールを追加ルールを提案した"有識者"とは何者なのか…?

 

 

 

 

 

そんなこんなで大会当日を迎える。

 

基本の大会のレギュレーションとしては


・使用する「カニ」は固定。
・選択する武器は自由。
・時間は150秒。
・Switch2台を横並びのモニターに分割して対戦を行う。

 

 

さてわずか4行のレギュレーションを書いて"ゲーマー"の方は違和感を感じられただろうか。

 

先に述べたようにこのカニノケンカにおける対戦モードは「武器被せゲー」である。
すなわち「相手の武器が分かる」というのが最大のアドバンテージであるにも関わらず、選び方が今回は規定されていない。

 

しかも横並び。


のぞき見し放題である。

 

 


大会を見学してると…明らかに""チラ見""して決めてる奴がチラホラいる。

 

一方のへいほぉを見てみると、実力者と当たったのかお互い同意の基モニターをハの字に配置し直していた。

 

流石である。この男、抜け目が無い。

 

 


また、後々聞いてみたら「ランクマッチで当たった相手のカニと武器は全部メモして持ってきた」とのことだった。

 

皆さん、本当に勝ちたいのであればこのくらいは当然の準備と思いましょう。

 

 


また、1回戦が行われた時点であらかたどのプレイヤーがどの程度の実力を持ってるかが把握することが出来たが、同時に明らかに強い人達が結構参戦してきてることも把握できた。

 

しかし、その人達の名前がいずれも「見たことない名前」なのだ。

 

これもまた本来あり得ない事態である。

 


カニノケンカはSteam版とSwitch版が販売されているものの、今回のレギュレーションはSwitch版である。


しかもSteam版とSwitch版は若干バージョンが異なる。加えてコントローラーの縛りもあるので当然Switch版で調整してきてるはずだ。

 

1ヵ月やった私が20位程度まで登れるランクマッチである。上位強い人はせいぜい10人程度しかいない。

 

そこにいるのは「Switch版のランクマで見たことあるカニと武器を扱う見たことある戦い方をする、初めて見る名前のプレイヤー達」であった。

 

 

すなわち、上位陣は名前による武器被せが横行すると読んで"偽名エントリー"が横行していたのである。

 

当然の如くへいほぉも偽名でエントリ―していた。

この男、流石である。

 

 


さてそんな""盤外戦術""が横行する大会を見学していたところ、へいほぉとその友人がある試合を見てザワついていた。

 

私もその試合を覗き見たところ、なんと画面上の瀕死のガザミが絶妙にバランスを保っていた。

 

 

あの動きはまさか…!

 

 

へいほぉ「あれは完全に"やって"ますね…あのテクニックを使っているのはこの世に3人のはず…」

 

僕「あの戦法はお前と友人しか使ってなくなかったか?残る一人とは?」

 

へいほぉ「""師匠""です。」

 

 


師匠。

 

 

なんとへいほぉのガザミ戦法はとあるプレイヤーのプレイに違和感を感じたへいほぉとその友人が、そのプレイヤーを問い詰めた結果聞き出した戦法であるという。

 


師匠。その登録名は「53万」。

 

もちろん偽名である。

 

 


とんでもない事が起きている。


この大会は「カニの魔力」に取りつかれた魑魅魍魎によってかき回されている。

 

 


そんな中一方私はというと…

 

へいほぉ、友人、師匠が順調にベスト16まで歩を進める中、あえなく2回戦で敗退してしまっていた。

 

ノーカニでフィニッシュかぁ…と膝を抱えて悲しんでいると、富山eスポーツ協会のPUSHMAN氏が登場

 

PUSHMAN「その…いきなりのお願いなんですけど…」


僕「はい」

 

PUSHMAN「ベスト16から…解説…していただけないでしょうか…?」


何から何まで予想外だ。

 

恐らく現地勢は準備に必死でカニノケンカの練習までは出来てない。


一方遠征してくるような人は大体ベスト16に進出してるので解説席には座れない。


恐らくハナから現地勢で誰か都合が良さそうな人間を登用する予定だったのだろう。

 

ましてや他ゲーの運営でマイクを握ることもある人間であるならば、そりゃ消去法で僕になる。

 

余談ではあるが、PUSHMAN氏は「報酬はカニ払いで」と後日カニを送ってくれた聖人である。

 

 


残った16人を見てるとトーナメント運が良く登ってきてるプレイヤーを除くやり込み勢の動きをしてるプレイヤーはほぼ全員偽名。

 

恐らくYoutubeで積極的に配信してた一人以外は全員盤外戦術までやり込んで来てる猛者が残った。

 


しかしこれは決して卑怯でもなんでもない。

レギュレーションで定めていない運営側の落ち度である。

 

 


そしてトップ4

 

へいほぉと"師匠"こと53万氏が無法のガザミ戦法で相手をなぎ倒して順当に上がってきてぶつかったのである。

 

ベスト16からはステージ上で行われるので、予選とは異なり相手のモニターは見えないのでもう安心だと思ってたら…

 

 

 

 

あ…!

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ああ…!!

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後ろのスクリーンを見てるっ…!!!

 

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これにしっかりと気付いたへいほぉ、すかさずスタッフを介して「先に武器を選べ」と抗議を入れる。

 

重ねて書くが、これは卑怯でもなんでもなく、レギュレーションを定めていない運営側の落ち度である。
ルールの中で最大限に勝ちに行く姿が正しい。

 


ただ、明らかに""スポーツマンシップ""論で行くとダメそうなので、解説中は「見てますね~~~」としか言えなかった。


これ以上は""荒れてしまう""と本能的に察知したからに他ならない。

 


試合はというと両ガザミが踊りまくる不思議な熱戦を繰り広げ、僅差で"師匠"53万氏の勝利した。

 

 

そして決勝はYoutube配信をしてた「いぬまろ」選手と"師匠"53万氏


恐らくいぬまろ選手はこの大会唯一とも言える名前が一致するクリーンファイターであった。

 

しかし、このいぬまろ選手、トライデントとブーメランを巧みに使う戦術をアボリジニと銘打ち、タスマニアオオガニの巨大な爪とジェットで相手の武器を奪う戦法を「万引きジェット」と銘打ち、しまいにはタスマニアオオガニの巨体で押しつぶすテクを「種付けプレス」と銘打つなかなかの""e-ヤカラ""であった。

 

インディ―ゲームじゃなかったらそんな名称がついたテクニックは即刻修正か削除かされてしまうであろう。

 

 


結局この大会にクリーンなファイター等いなかったのである。

 

全員がカニの魔力に取りつかれた狂人の集い…

 

 

完全に邪推となるが…大会前にルールを"進言"してたのも"師匠"だったのではないかと疑っている。
彼はもしかするとカニで世界を征服するために顕現した男だったのかもしれない。

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カニで世界征服を企んでたのかもしれない

 

 

一進一退の攻防が繰り広げられる決勝の熱戦と結果は是非動画で見ていただきたい。

最後に放たれた特大のカニタマはこのゲームの面白さが凝縮された一瞬だったと思う。

(大会は5:35:00頃から) 

 

 

www.youtube.com

 

 

 

 

 あとがき(言い訳)

 

インディーゲームにも時々とんでもない「面白さ」を持っている作品が登場する。


しかし大半はその面白さがあまり理解されないまま眠ったままである。

 

昔ならいざ知らず、作品が飽和してるこの状況では全部の作品を楽しむ時間はもう現代人は持ち合わせていない。

 


誰かがその面白さを発信するからこそ、作品は語り継がれ生き残っていくのである。

 

是非とも自身がした面白かった体験を綴ってみてほしい。


それがもしかしたらその作品の助けになるかもしれない。


(僕は絶対に関係者に怒られるしまぁ怒られてもいいかと思いながらこれを書いてます)

 

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届いたカニはめちゃくちゃ美味しかったです。

 

 

※1/26 11:00追記

"やってた"テクニックとは、チート行為等ではなく、ガザミの特性を利用した体勢維持テクニックです。(現在は修正されています。)

 

このゲームは本来カニの手の動作で姿勢制御をする必要がありますが、当時は偶然ガザミでのみ、ジャンプボタンを連打することで姿勢を維持することが出来る隠されたテクニックがありました。(詳しくは大会中の選手の手元を凝視してみてください。)

スキルは全て言語であるという言説について (スキルツリー理論とバイリンガル理論)

世の中には努力で全てを解決出来ると信じている人もいれば、才能が全てを解決すると信じている人もいる。

言い換えれば「産まれは皆平等」と信奉してる人とそれを否定する人だろうか。

 

完全に白か黒かで判断出来れば楽なんだろうが、この世にそんな物事はほとんど無いし、この才能・努力論も例外ではない。

 

ただ、競走馬の世界において一部の血統がその他全てを排斥してしまった事実や、「黒人特有のバネ」といった言葉を見るに、能力の差というのは才能による所が大きい(身分や金銭面といった産まれの差も含めて)のではないかと感じる事が多い。

 

しかしながら、努力が必要無いというのは大嘘であると確信出来る。

 

では、何が才能なのか?何が努力なのか?という事に言及しているような記事をこれまで見たこと無いので書き記しておくことにする。

 


〇スキルとは何なのか?

 

さて、スキルとは一体何なのか考えてみる。


日本語で言うところの技術だったり技能だったりするこの言葉は割とふんわりしている。

 

皆さんが想像しやすいのは科学者、プログラマー、大工や絵描き等、いわゆる「何かを作る人」が持っている技術という意味合いだろうか。


非常に緻密な作業だったり、知識を必要として、すぐに真似が出来ないような領域に取り組める能力を「スキル」と言う。

 

しかしその技術がある人が仮に独創的な物を作った時にどうなるかとなるとそれは途端に「才能」という領域の話に置き換わる。

 

この間の定義があやふやなのである。

 


まず技術とは「体系的に説明がつくもの」である。

 

分かりやすいのは絵という分野だろうか。

 

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古典はほぼ全て「何故優れているか」が研究されている。 「ブルーピリオド」より

 

例えば遠近法であったり色の選び方であったり、何故そうなってるか説明がつくものは等しく技術という枠組みに入れられる。


そして技術という説明がつくものについては極論、努力すれば習得できる可能性がある領域に入ってくる。

 

一方でどうしても説明がつかないものが存在する。

 

明らかにアンバランスな組み合わせなのにも関わらずマッチしていたり、誰も構想したことないような作品は体系的に説明が不可能であることが多い。

 

後世にそれが技術として定着するとしても、少なくともその時点で本人すら説明出来ない領域はその時点において才能の領域である。

 

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才能を簡単に説明できりゃ苦労はしない。 「ランウェイで笑って」より


すなわち、あらゆる物事において「説明出来ること」と「説明できないこと」に分解していくことで、どの要素が努力の分野であるか、どの要素が才能の分野であるかを理解することができるのだ。

 

 


では例えば「ドッジボールが上手い」を分解してみよう。

 

ドッジボールが上手い」のは何故なのか?と考えると、「ボールを投げるのが上手い」「ボールを受けるのが上手い」「位置取りが上手い」etc…といった要素が無限に存在するのが分かるだろうか。

 

ではこの内「ボールを投げるのが上手い」のは何故なのか?を考えると、「手が大きい」「腕が振れている」「適したポイントで玉を離せている」といった要素となるだろうか。

 

更に「手が大きい」のは何故だろうか?

 

恐らく両親からの遺伝的な要素が大部分を占めるだろうが、そこは確実な説明は出来ない。


この説明出来ない領域の事がいわゆる「才能」である。

 

また「腕が振れている」のは何故だろうか?


きちんと腕の先がしなるように動作してるからであろうが、その先まで遡ると「腕の使い方が器用である」といった知覚的で非言語の要素が多く含まれてくる。


この説明出来ない領域も「才能」である。

 

 


また、ここまでで「ボールを投げるのが上手い」という技術は例えば野球にも流用が可能であるということ。
逆にこの技術はサッカーに大してはほとんど意味が無いことも理解しておかなければならない。


このように明確に「才能」が存在しているのは根源と先端であり、間の部分は「技術」、すなわち努力的な領分で埋められている。

 

 

 

と、いっても全ての技術は努力次第で取得出来るのかといえばそうでは無いこともこの話で説明出来る。


先程のように技術的な要素を分解していく中で、様々な技術は根源的な細かな才能によって支えられているからだ。


また先に挙げたドッヂボールが上手い例においても、必ず全ての要素を満たしている必要性が無いことも理解しておかなければならない。


仮にボールを受けるのが下手でその体系の根源にある才能が欠けていたとしても、オフェンシブな役割に偏って携わることで「ドッジボールが上手い」部類に入ることが可能だからだ。

 

 

 

〇スキルは言語であるという言説

 

さて、前項で説明したように「スキル」とは、それを支える数多のスキルとその根底にある才能から成り立っている。

 

つまり理論上ではあるが、現状全てのスキルは体系図、いわゆるスキルツリーで表現可能であると確信している。

 

更にこの項ではそもそもスキルとは言語そのものであるという説を書き記していきたい。

 


まず、実際に言語と呼ばれる分野について、例えば「英語ができる人」というのはピンからキリまでいるのはご理解いただいているだろう。


「できる」のは挨拶か、日常会話か、専門的な話か、どの分野で話せるかそのスキルの幅は実に広い。

 

日本人でも「日本語ができるか」はピンからキリまでいるのは皆さんも実感しているだろう。


機械が苦手な人に日本語で機械の話をしても分からないし、それが文学であれ科学であれ同様である。

 

と、なれば一般的に「英語ができる」のは「英語で日常会話ができる語彙がある」というスキルを指しているのである。

 


色んな経験をしている皆々様方は「英語が出来る」と入ってきた人が本当に英語以外できなくて使い物にならなかった経験はおありだろうと思う。


如何なる話をするにしても、喋るという行為以外にその分野に関する理解が無ければ本質的な会話は不可能なので起こりうる問題である。

 

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そのスキルだけで完結するなら問題無かったりする。「映画大好きポンポさん2」より

 

以前に任天堂が「色んな分野に興味のある人材を募集している」と公言していたのはこの問題があるからに他ならないだろう。

 

通訳は最低限表面的に話者が話したい物事を理解出来ている必要性があるのである。
(同時に話者は通訳にも理解できるような語彙の範囲で説明しなければならい)

 


一方で上記の様な日本語や英語ではなく、もっと直感的な言語も存在する。


そんな直感的な共通言語の最たる物は音楽だったり美醜だったり本質的に五感で感じるものである。

 

何故これらが一般的な共通言語足り得ているかというと、それは非常に広い非言語的な領域と直接関連しており、万人が何らかの形で各々に理解可能な物であるからに他ならない。

 


ではそういった本質的に五感で感じるもの以外は共通言語になえりえないかと言われれば決してそうではない。


例えば数学。

特に言葉を併記しない場合でも数式で相手に問いかけることは可能であるし、それは科学や物理学でも同様である。

 

これらを掘り進めていけば、もっともっと深いような分野でもいくらでも共通言語を作ることはできるが、深く掘るに従ってその「言語」を理解出来る者は確実に減ってくる。

 

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共通の道を行く者にしか通じない言語がある。 「天地明察」より


更にその言語が誰にも理解できない領域まで来ると、それは「才能」の領域に到達することとなる。

 

日本語や英語といった話すための言語は「スキル」として、非常に柔軟性に富み、なおかつ対象の範囲が広いがため人々に「言語」の代表格として認識されているに過ぎず、古今東西様々なスキルは全てローカルな「言語」であると言えるのである。

 

 

 

〇スキルの価値とは何か?

 

そもそもの話となってしまうが、何故人はスキルを得ようとするのかと考えると、何らかの欲求から来ているのが常であろう。

 

〇〇を見てみたい。△△を作りたい。


何ならお金を稼ぎたいだったり異性にモテたいという欲求からスキルを会得しようとするのが最も一般的だろうか。

 

全て手に入る状態であれば特にスキルを磨く必要性はありはしない。

 

本当に一部の超越者を除いて必ずそこには欲求が存在している

 


ではスキルにおける価値とはその希少性ではないかと思うだろうが、案外単純なものではない。

 

「価値」とはそれを判断する者が理解出来なければそもそも測ることが出来ないからだ。

 

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「価値」で世界は量られる 「メイドインアビス」より


以前じーくどらむす氏が書き記された『ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)』に関する考察に分かりやすく記されていたので、そこから参照させていただくとすれば、

 

「人間は『実際の価値』にお金を支払っているのではなく、「価値がありそうに見える」ことにお金が支払われているのだ。」

 

という一文が最も的確に表現されているように思う。

 

note.com

 


こうして極一部の新たな価値を創造しようとする連中以外は、自身にも相手にも理解しやすい価値を求め動く。

 

「分かりやすい価値」とは何か。


「美醜」や「快感」、すなわち先にも上げた非言語領域と直接繋がっている領域がそれであり、容姿であったり絵、音楽、性産業等がそこに含まれる。

 

ただそれらが多大な金銭を個人にもたらすかというと極めて難しい。

 

 

この辺の言及については以前書いたプライド分散理論や世界ランク理論といった文章に記させていただいたが、上位約10%のスキルを持つ人間が承認というエネルギーを得られる一方で、個人単位だととてもじゃないが10%程度の領域では生活に十分な金銭を発生させることが出来ない状態となっている。


昔は本質的な価値と金銭が一致していた可能性があるが、資本主義社会が加速した現代では本質的価値と金銭的価値がほとんど一致することなど滅多にない。


むしろ、その本質的な価値がどんな人にも理解されるが故に買い叩きに会い、金銭的な価値の維持が難しくなっている。

 

結果的により分かりやすい価値に携わる人間の大部分が金銭的には大損を被る構図になってしまうのだ。

 

mekasue.hatenablog.com

 

mekasue.hatenablog.com

 

 

 

〇スキルツリー理論

 

先に書いた通り、全てのスキルは体系化してしていると確信している。

 

ただ、このスキルツリーの形は時代によって大きく変わり続けている。

 

技術自体の理論が時代を反映して常に書き変わっている上に、その技術を行使するための道具も常に進化を続けているためだ。

 

 

完全に「枯れた技術」の根元の体系の変化はほとんど無いが、逆にその枯れた技術を習得するのを余計なコストと考える者達がその枝葉を取り除こうと日々努力をしている。


そんな状態もあり、例えば学生諸子に「このスキルを習得すればこの先のスキルを取得できる」と断言するのは実質不可能である。

 

複雑なスキルツリーの先に立っている者達も無駄なくスキルを取得してそのスキルツリーを為しているか?と問われれば全員が「ノー」と言うだろう。
(ある程度決め打ちした者は多いだろうが)

 

自分が持たない他人のスキルの根源は感知は難しい故に、誰もこのスキルツリーの全貌を理解していない。

 

時代の流れの中、誰もが、たまたま、スキルを磨く中でそのスキルツリーを構築しているのだ。

 

 


ではそんなブラックボックス的で理解不能なスキルツリーが存在するとしてどうするべきなのか?

 

正直なところ、そんな厄介なものを完全に無視して好き放題生活できれば一番いいのだが、如何せんこの資本主義社会が継続する内はどうにか金策をしなくてはならない。


前々項に書いた通り、誰もが理解可能な領域のスキルは理解されやすい故に金銭が発生しづらい。


金銭を発生させるには理解できないが価値がありそうなスキルの取得に辿り着くしかない。

 

ただ、そんな都合の良いスキルの領域は現状全て独占されてしまっており、そこに住む人間は大抵ろくでもないので大変である。(金融系、健康食品系、etc.)

 

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ろくでもない仕事にはちゃんとろくでもない人がいる 「ザ・ファブル」より


別にそんなろくでもない人間達に迎合できるのであればそれはそれで問題無いだろう。

 

ただ、ここまで書いてきた文章を読んでいるような人間は多分それが嫌な人種しかいないように思う。

 


誰もいないようなブルーオーシャンでのんびり過ごすのを目指すとなれば、スキルの自然発生を願うしかない。


自然発生といっても寝てたら突然生まれてくるのではなく、偶発的な可能性に賭けるのである。

 

前述の通り、スキルツリーは常に流動的に形を変え続けている。
そのため、ある日突然異なるスキル同士にシナジーが発生して珍しいスキルが発生することがある。

 

この新たに発生したスキルは才能の領域ではない。
元から存在していたものの、その有用性に誰も認められなかったのだが突然スポットライトが当たった状態である。

 

ただし、近しいスキル同士の組み合わせの場合は多くの人が同時にスキルに辿り着くことになるのでアドバンテージが少ない。


常日頃多様な分野において食指を伸ばしている必要性があるだろう。
(結局はプライド分散理論が重要であるという話になってしまう。)

 


他の方法として、理解できない勢力が多数を占める異世界的な土地で既に一部で一般的になっているスキルを活用すると似た現象を起こすことが可能だ。

 

また、何の因果が似たようなブームみたいなものはグルグルと世の中を周っているため、その法則を見出せば狙って発生させることが出来るかもしれない。

 

 

 

バイリンガル理論

 

ここから先は才能の領域の話である。

 

特定の才能を持つ人間は気の遠くなるような反復練習を通してそのスキルを発揮するためのコスト(体力・やる気・時間等)を極めて少なくすることが可能である。

 

この辺は登大遊氏の「論理的思考の放棄」というタイトルの2007年のブログに詳細に記されている。

 

softether.hatenadiary.org

 

詠唱時間の短縮は最終的には無意識の領域に辿り着く。

 

この話を人にする際に例に挙げるのは、幼い時から二か国語以上を常に使う環境に晒されてる中で培われたバイリンガルや、音楽による英才教育によって培われた絶対音感である。

 

会話であれば、最大で「言葉を聞く」⇒「文字として認識する」⇒「内容を理解する」⇒「返答を考える」⇒「文章を考える」⇒「発声する」といった6ステップを、日常的に我々が行っているような「言葉を聞く」⇒「発声する」というほぼ2ステップで可能となる。

 

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真理に到達すれば手を合わせるだけで錬成が可能となる(鋼の錬金術師より)


この無意識の領域を語る場合この2例が最も分かりやすいが、理論上は全てのスキルにおいて適応が可能であると考えられる。

 

ただし、無意識の領域に達するにはまっさらな脳みそと気の遠くなるような努力とそれに伴うモチベーションが必要となるため、多くの場合で非言語領域に直接繋がっているようなスキルに限られる。

 

通常は絶対音感といったスキルの領域までは発現せず、「あわてんぼう」であったり「感受性が強い」といった才能から来るデメリット的な発現の仕方をしていると考えている。

 

登氏のようにプログラミングのスキルにおいてこれが発現するのはかなり特殊な条件が揃う必要があるだろう。
(今の時代であれば自然発生する条件はある程度揃ってるのかもしれないが)

 


よって今更バイリンガル理論に則って詠唱短縮を試みるのは間違いであると言わざるを得ない。

 

ただ、可能性があるとすればもう片方の才能の領域、すなわち先端に立つ才能に期待することである。


ただし、先端に立つ才能については、完全に未知の領域であり通常は認識も不可能と考えられる。

 

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極限まで追い詰められたオタクしか見えない活路は確かにある。 「映画大好きポンポさん」より

 

 

以上。

 

まとめると、才能とかいう知覚不可能なものの認識はそこそこに、手を変え品を変え努力しましょうという話にしかならない。

ガチ勢とは一体何者なのか。エンジョイ勢とは一体何者なのか。

『ガチ勢エンジョイ勢論争』…

 

それはありとあらゆるジャンルの対戦ゲーマー達が何十年と議論してきた宗教戦争である。

 

未だにあちこちで燃えてるのを見る度にグンニョリするので見解を文章にまとめとく事にする。

 

≪目次≫

①「ガチ」ってどういう意味?

②真剣勝負は何故必要か

③エンジョイ勢とは何者なのか?

④「高い勝率を保持すること」がガチ勢なのか、はたまた「大会に照準を合わせて結果を残す」のがガチ勢なのか

⑤「強キャラを使わない」のは「ガチ勢でない」のか?

⑥本気と真剣の違いについて

⑦ガチ勢が向かうべき先は

 


①ガチって言葉はどういう意味?

 

まず「ガチ勢」の『ガチ』とは「ガチンコ」の『ガチ』であるということは皆さん御周知の通りだろう。

 

それでは「ガチンコ」の語源は何なのか?

 

所説あるが、Wikipediaからの情報を鵜呑みにしてみると、相撲で真剣勝負の時に正面からぶつかり合う音の擬音語であり、そのまま『真剣勝負』の際の隠語として使われたようだ。

 

なるほど、『真剣』という言葉に『ガチ』とルビを振られている場面を頻繁に見るに大きく間違ってはないだろう。


では『真剣勝負』とは何なのか?

 

『真剣勝負』
意味:遊び半分ではなく、本気で勝ち負けを争って、勝者を決定すること。また、物事に、まじめに全力で対処すること。もとの意味は、竹刀しないや木刀ではなく、本物の刀で斬りあいをして戦うということ。-goo国語辞書


命のやり取りをするぐらいのやり取りを『真剣』と言うらしい。


しかし『真剣』という言葉や概念は刀文化のある日本ぐらいのものであろう。

 

それでは外国、例えばアメリカではこの『真剣』にあたる言葉が無いかと言われれば、実は存在する。

 

その言葉は『shoot』。すなわち銃撃である。

 

面白いのはこの『命がけなくらい本気で取り組む』という言葉がそれぞれの国でポピュラーな兵器絡みの言葉なのだ。


では何故「鎖鎌」や「鉄扇」ではダメだったのか?

 

これは単純にポピュラーかどうかの問題だけだろう。
言葉として一般化されるには共通認識が非常に重要だ。


では何故「大砲」やら「爆弾」、はたまた「核兵器」にならなかったか?

 

推測するに言葉が生まれたであろう時代が絡んでいる他、「一人で扱える代物かどうか」が原因ではないかと考えている。


『真剣』は集団ではなく、個人の意思や姿勢を示す言葉だからだ。

 


では仮に真剣勝負の場に鎖鎌を持って現れた場合、それは『真剣』では無いと言えるのか?


この事には大して文句を言う人はほとんどいないのではないだろうか。

 

今から命のやり取りが始まるというのに、相手の武器を指して「卑怯だ!」と言う人がいるだろうか。

 

いてもいいとは思うが、それなら最初から『使用可能武器は日本刀のみ、刃渡りは4尺までとする』とか通告しといて欲しいものである。

 

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『真剣勝負』は自分の特性をフルに活かした勝負だ


つまり『真剣勝負』とは「命のやり取りをするにあたり、お互いに同意の基で定めたルール内で、創意工夫や準備を凝らし、闘うこと」で解釈していいのではないだろうかと考えている。

 

雪山でスナイパー対決が始まるのも真剣勝負だし、小刀の二刀流で斧を持った大男と闘うのもそれは真剣勝負だろう。

 

 

②真剣勝負は何故必要なのか?

 

さて、前項では真剣勝負の概念について言及したが、一つ大事な大事な要素が抜けている。


もう一度真剣勝負の意味をおさらいしてみよう。

 

『真剣勝負』
意味:遊び半分ではなく、本気で勝ち負けを争って、勝者を決定すること。また、物事に、まじめに全力で対処すること。もとの意味は、竹刀しないや木刀ではなく、本物の刀で斬りあいをして戦うということ。-goo国語辞書

 

そう、真剣勝負は必ず勝敗を決定しなければいけないのだ。

 

真剣勝負の『真剣』の要素については先の項で示せたと思うが、残る『勝負』についてはまだ宙に浮かんだままであるので解析していきたい。

 

勝負に「勝つ」というのは何かを得ることであり、「負ける」という事は何かを失うことである。

 

Win-Winという言葉があるように、全員が得をするような状態は全員が勝っているし、逆に共倒れして全員が負けている場合もある。

 

なので『勝負』をするためには必ず何かを得たり何かを失ったりする必要がある。

 

 

ではその時互いに賭けている物は一体何なのか?


実際に互いの命のやり取りをする場合は実に分かりやすい。


死ぬ事は敗北であり、生き残れれば勝利である。

 

しかし、必ずしも命を落とさなければ敗北では無いというわけではないのも明らかだろう。


降参システムも往々にして採用されるのでに軽傷で済むという事は往々にしてあり得る。

 

現代の日本では、仇討ちという風習も無くなり、対面して命のやり取りをするなんてことはほとんど無い。

 


例えば命のやり取りをしていない、現代で「真剣勝負」と言われる場で考えてみよう。

 

代表的なのはオリンピックのような国際的な競技の舞台だろうか。
何ならパン職人だって真剣勝負に取り組んでいるかもしれない。

 

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真剣勝負はどんな場所でも起こっている。

 

対象は必ずしも人間だけでない。時には無機物、あるいは自分自身が対戦相手の場合もあり得る。

 

こうして様々な事例をあげると浮かび上がってきたのではないか。


真剣勝負で賭ける物、それは「自らのプライドの価値」である。

 


ここで言う『プライド』とは以前書いた「プライド分散理論」という文章中に示した『プライド』と全くの同義である。

 

mekasue.hatenablog.com


参照する文章が長すぎるのでザクっと表現すると、プライドとは生きがいみたいなもので、自信を持って生きるための承認エネルギーの源泉と定義している。

 

また、続く「世界ランク理論」の文章中でも述べているが、己のプライドを確立し維持していくには必ず一定期間毎の客観的な指標が必要となる。

 

mekasue.hatenablog.com


真剣勝負はそんなプライドの価値を維持するために必要な通過儀礼と言ってもいい。

 

真剣勝負により自己のプライドの価値を客観的に評価することによって今、自分はどの程度の位置にいるのかを確認するのである。

 

いわば真剣勝負は自分の命に価値をつける行為そのものと言ってもいいのではないだろうか。

 

 

③エンジョイ勢とは何者なのか

 

ここまで真剣勝負を挑む者たち、すなわち「ガチ勢」の行動原理を考察してきたが、現代には対極とも呼べる概念がある。

 

それが「エンジョイ勢」である。

 

今回の問題として挙げた「ガチ勢・エンジョイ勢論争」では大体以下のような文言が飛び交う

 

「ガチ勢はガチ勢でやれ」
「エンジョイ勢ならやめろ」
「何マジになってるんだ」
「ゲームは楽しく!」

etc...

 


それでは『エンジョイ勢』について言及していこう。


『エンジョイ勢』はガチ勢の逆、すなわち真剣勝負を挑まない、すなわちその物事で自分の価値を評価しようと考えていない勢力である。


別にこの事自体に特段問題があるわけではない。

 

何故ならそもそものところで真剣勝負を挑む必要が全く無い人達が存在するからだ。

 

例えばそもそもその分野でプライドを確立しようと考えていない人達。

 

様子を見に来てるぐらいの話なのでそりゃ真剣勝負は成り立たない。
こういう人々は既に別のプライドを軸に生活している。

 

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同じ価値観やモチベーションが必要となる。

 

例えば根拠の無い自信を抱えている人達。

 

根拠の無い自信は基本的に幼い頃から培われた自己肯定感を基に構成されている。
または、自身のプライドが瓦解するのを本能的に恐れて評価をするのを自分自身が避けている場合がある。


そんなエンジョイ勢とガチ勢とは当然噛み合わない。


片方は魂を差し出しているにも関わらず、片方は何も賭けていないのだから真剣勝負等初めから成立していない。

 

その上でガチ勢側が文句を言えば当然エンジョイ勢側は困惑する。

 

一方でエンジョイ勢側が何も賭けていないにも関わらず「勝負」について言及するのはお角違いである。

 

その認識の差が論争を呼ぶのだ。

 

 

④「高い勝率を保持すること」がガチ勢なのか、はたまた「大会に照準を合わせて結果を残す」のがガチ勢なのか。

 

結論としては両方正しいと考えている。

 

なんなら実戦中に魅せプレイをすることに真剣に取り組んでいるならばそれはそれでガチ勢である。


これは『真剣勝負』に賭けるプライドを何処に割り振っているかという話になる。

 

例えば、勝率を重きに置いている人と、大会結果に重きを置いている人の野試合では同じガチ勢ながら実際のところ『真剣勝負』は成立していない。


互いに賭けているプライドの質が異なっているため、片方が勝利を手にし、片方が大会用の情報を手にしたのであれば、両者勝利してしまっているからだ。


勝率に重きを置いている人は大体大会結果にも重きを置いているので、大会での対戦であれば真剣勝負は成立するかもしれないが、ここに魅せプレイガチ勢が絡んできたらまた複雑な話になる。

 

より華麗に相手を倒した方が「勝ち」なので無作法な倒し方は「負け」だからだ。

 

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相手の勝利条件を理解しないと相手を敗北させることは出来ない。


ここもガチ勢をエンジョイ勢ととり間違えたりする論争が起こりがちなので厳しい言及をしておこう。

 

本当に相手と真剣勝負をしたいのであれば、基本的に相手がプライドを持っている土俵で闘わなければならない。

 

そんな道場破りこそが真剣勝負に飢えている貴方のすべきことである

 

自分のフィールドに引きこもっている内は真剣勝負が出来るチャンスはなかなか来ない。

 

常に真剣勝負に飢えているのであれば、過去の自分を敵にするといい。
つまり、一人用の競技をただひたすらに打ち込むのが最も簡単である。

 

仮に相手がエンジョイ勢であるならば、相手が羨ましくなるぐらい楽しそうにプレイすることで「勝つ」ことが出来るのかもしれない。

 

 

⑤「強キャラを使わない」のは「ガチ勢でない」のか?

 

先にも書いたが、『真剣』とは自分に合った道具を用いてその場の状況を踏まえて創意工夫をして戦うことであるので、必ずしも強キャラを使わないからガチ勢でないというのは見当違いだろう。

 

ましてや「強キャラ使い」=ガチ勢ではない。


何なら強キャラ使いという単語を用いているところを見るに、ガチ勢の概念を理解していないと推測する。

 

 

仮に高い勝率を追求するタイプのガチ勢や、より効率的な戦い方を探すことを追求するタイプのガチ勢が様々な検討を行った場合は、最終的に大体強キャラに落ち着くのは明らかだろう。

 

しかし、初めから「強キャラしか使わない」のはガチ勢が持つ重要な要素である創意工夫を重ねていることに反する。

 

ガチ勢は何かしらの目的・目標のために突き進んでいるのであって、強キャラを使うということ自体は目的にはなりえない。

 


では「強キャラ使い」と自称する人達は何者なのか?

 

「強キャラ使い」と自称する人達はただただ「弱い者いじめが好きな人達」であり、ただ隠れ蓑として「強キャラ使い」という言葉を使っているに過ぎない。

 

「弱い者いじめガチ勢」と積極的に言い換えていこう。

 

 

⑥本気と真剣の違いについて

 

本気は「マジ」と読み、真剣は「ガチ」と読む。

 

恐らくこの表記は偶然ではない。

 

ダルビッシュ有羽生結弦が言った「努力は嘘をつく」の本質はそこにある。

 

『努力』
意味:ある目的のために力を尽くして励むこと。 -goo国語辞書

 

すなわち、「努力」とは「本気で物事に取り組む事」であり、ここに推考は含まれない。


ただガムシャラに突き進むのが「努力」である。

 

またダルビッシュ有の言う「頭使って練習しないと」や、羽生結弦の言う「でも、無駄にはならない」の本質もそこにある。


方法の推考には必ず試行錯誤が必要不可欠であり、『真剣』に到達するための道程なのだ。

 

『本気』とはただの姿勢であり、『真剣』とは本気で創意工夫を凝らし活路を見出した先にある境地である。

 

本気でやるというのはただの前提条件に過ぎない。

 

 

⑦ガチ勢が向かうべき先は

 

今回はゲームのガチ勢に関して言及をしたが、古今東西あらゆる物事はこのガチ勢の論理で成り立っており、それによって確立されたプライドをエネルギー源として生きている。

 

物事の間には利便性の違いがあり、そこから決められる価値には大きな隔たりがある。

 

しかし本当に重要な事は真剣に取り組む姿勢が出来るか否か、ただそれだけである。

 

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今取り組んでる事に「真剣」であればそれでいい

 

物事に貴賤は確かに存在しない。

方向性が異なるだけであり、真剣に取り組む姿は常に美しい。

 


当然、中にはエンジョイ勢として生き、そのまま死んでいく人達もいるだろう。
自身の価値を観測せず、疑う事も無く一生を終えることが出来るのであればそれほど素晴らしいことは無いように思う。

 

しかし、一度気付いてしまったのであれば闘わなければならない。


貴方なりの闘いの方法を考えなければならない。

 

一人のガチ勢が行き場を失った時、その経験を軸に新天地で輝くことを期待している。

僕は大谷翔平じゃないことに気付いたので介護用のマットレスを買った

マットレスを探し始めて3年が経っていた。

 

といっても3年間ガッツリと探し続けていたわけではなく、なんとなく「いいマットレスが欲しいなぁ」と考え始めてから3年だ

 

家具屋に入った時は必ずマットレスの展示をチェックした。

ショッピングモールに行った際も展示があるならくまなく周った。

 

しかし…なんかこうシックリと来るものが無い日々が続いていた。

 

 


少し時を戻して「いいマットレスが欲しい」と考え始めた経緯を書いておこう。

 

齢30を数えようとしていたとある日、スポーツをしている時にギックリ首をやってしまったのである。


首がひん曲がったまま病院にヨロヨロと駆け込み、何とかその場は助かったものの問題はその後襲ってきた。

 

翌日起きたら激痛でとてもじゃないが起き上がれなかったのだ。

 

寝てる体制から起き上がろうと思ったら必ず頭を持ち上げなければならない。


腰から下は何とか動くものの、それより上の部位を動かそうとすると首に負荷がかかり、激痛で全く持ち上がらない

 

救急車を呼ぼうか呼ぶまいか悩みながら頭をフル回転させていたら、その時あるキャラクターのことを思い出したのである。

 

そのキャラクターとは『ジョニィ・ジョースター

ジョジョの奇妙な冒険・第7部である「スティールボール・ラン」の主人公だ

  

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この状態のジョニィと自分を重ねた


ジョニィ・ジョースターは将来を有望される稀代のジョッキーとして有望視されていたが、不運にも交通事故にあってしまい下半身が動かなくなってしまった。

 

そんなジョニィ・ジョースターがまた馬に乗れるようになったエピソードをご存じだろうか?

 

『回転の力を信じろ』

 

本作のもう一人の主人公、ジャイロ・ツェペリに導かれ、ジョニィ・ジョースターは回転の力を利用して馬に乗ったのだ。

 

 


拡大解釈すれば、今の僕はあの時のジョニィ・ジョースターと似たような状況じゃないのか?

 

今こそ回転の力を信じる時じゃないのか?

 

上半身を動かさなければ激痛は襲ってこない。足で周囲を捜索するとそれはあった。

大きなビーズクッション…!

 

足で掻き寄せ、壁面に出来るだけ大きなRを描くようにビースクッションを押しあてた。


『回転の力を信じろ!!』


そう頭の中のジャイロ・ツェペリが叫んだ次の瞬間、僕はクルクルと回転しながら上半身を持ち上げることに成功したのである。

 

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記事を書いてから当該のページを見直したんだが、割とそのままだった

 

その後また無事に病院に駆け込むことができ、事なきを得た…そんな経験から僕は健康のために寝具もこだわろうと思い始めたのだ。

 

 

 

話を戻そう。


いいマットレスを探すと真っ先に思い当たるのは各種メディアや大型の寝具店で宣伝されている製品だろう。

 

エアー○ィーヴ、A○R、、マニ○レックス、etc...


その横にはこんな文字が躍っている。

 

「大谷○平推薦!」

「錦○圭推薦!」

「浅田○央推薦!」

 

要するに超一流のアスリートは最もその身体を酷使しており、同時に最も身体のケアにこだわっているはずなわけで、その超一流のアスリートが推薦するものが一番良い寝具に違いないという宣伝の理屈である。

 

道理である。

 

道理であるがちょっと待って欲しい。

 

どんな商品にも必ず開発コンセプトというものがあるはずなのだ。

 

例えば男性用・女性用、人種も違えば性質も大きく異なる。
また、各種スポーツやレジャーといった対象を何に置くかでも当然大きく異なってくる。

 

「商品開発にはペルソナを設定しろ」とはよく言われるように必ずターゲットを置く必要があるのだ。

 


今回の場合、宣伝が打たれている寝具に合っているとされるのはいずれも若い超一流アスリートである。


それでは画面の前の皆さんは自分の体形を鏡の前で確認して欲しい。


超一流アスリートか……???


以前陰キャオタクがゴルフを始めてしまった際のスタートアップガイドの記事にも書いたが、我々陰キャオタクはそもそもの話でスポーツマンの体格はしてない。

 

mekasue.hatenablog.com


どちらかというと老人、またはせいぜい体格の良い女性に近しく、ガッチリしている人は少数派だろう。

 

仮に防寒を目的とした装備を整える…とかいったケースであれば極地とも言える「山用の装備」を整えるのは分かる。


何故なら「防風や防水」といった要素は付与してデメリットを生じさせる要素が特に無く、何より「暑かったら脱ぐ」という選択肢もあることから「大は小を兼ねる」という理屈が通るからだ。

 

ところが寝具となればそうはならない。


受け止める対象が異なれば全く別の答えが出てくるはずだ。

 

寝具というジャンルでは体格を寄せた方がいいので…「中年男性向け」があればそれだろうか。

 


と、なれば中年を宣伝塔に立ててる寝具ならばあるいは?と探ってみたところ、高反発マットレスでおなじみの「モットン」は元プロ野球選手の山本昌を宣伝塔に起用していることが分かった。

 

知らない人に説明すると、山本昌とは中日ドラゴンズ一筋で齢50歳に至るまでプロ野球選手を続けた、いわば身体のケアに関しては超一流の野球選手である。

 

一瞬「これか!!」と思ったものの、山本昌の身長は186cmでガッチリ系…

 

大分近づいたものの、陰キャオタクの体格とは一線を画している。

 


と、なれば我々に最も適した寝具…それは最早介護用品のジャンルではないか?と考え始めた時に彗星のように現れた。

 

それこそが今回言及する『ジェルトロン』だ。

 

geltron.jp

 

『ジェルトロン』はその名の通り、立体格子状のジェルを主体とした寝具シリーズの総称である。

 

残念ながら僕が彷徨っていた家具屋では並んでいるところを見たことが無かった。

 

どこで初めて見たかというと…なんと『東京ゲームショー』である。

 

t.co

 

様々なゲーム用品が並ぶ中で寝具をデカデカと展示する異質な存在。
また驚くべきはその展示内容であった。


「このジェルトロン枕はバーチャルリアリティ(VR)用のヘッドマウントディスプレイ(HMD)をつけたまま快適に睡眠をとることができます。」

 

もう一度書いておこう

 

「このジェルトロン枕はVR用のHMDをつけたまま快適に睡眠をとることができます。」

 

実に3歩は先の宣伝文句である。

 


我々VR愛好家、特にVRChat界隈の人間では割とポピュラーとも言われる「VR睡眠」ではあるが、正直なところ一般社会では確実に理解どころか認知にも至らない領域である。

 

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お昼寝や仮眠も多いが、普通に夜中グッスリの人も割といる

 

2019年に「VR睡眠が快適に出来ます」を販売文句に使う会社が中途半端なモノづくりをしているとは思えない。

 

恐らくアマゾンの奥深くの少数民族を相手に商売するよりターゲットが狭い。

とてもじゃないが正気の沙汰ではない。

 


商品カテゴリもまさに「介護用品」だ

 

素晴らしい!

 

僕の求める製品コンセプトじゃないかと公式ホームページを眺めていると更に凄まじい宣伝文句が流れてきた。

 

「プロゴルファー藤田寛之さんも愛用!」

 

なるほど!!!と膝を打った

 

オタクゲーマーはご存じ無い可能性が高いが、藤田寛之は40歳を超えて初めてメジャータイトルを獲得する等活躍した苦労人の名プロゴルファーである。


まさに「ゴルフ界の山本昌」といっても過言ではなく、50歳を超えた今でもプロツアーで活躍しているこれまた身体のケアの達人である。

 

そして何より身長が…168cm!!

 

全ての要素を兼ね備えたオタクご用達商品…これは買うしかないと心が揺れ動いた。

 


ただマットレスはお値段がかなり凄い…

(スーパーエクシード シングルタイプでお値段17万円也)

 

どこかで体験出来ないかなと県内に設置されてるという店で聞いてみても「以前は展示していたのですが…」と返ってくるばかり


と、なれば第1段階。


先にジェルトロン製の枕と座布団を買う事にした。

 

早速届いて使用してみるとなるほどこれが存外いい。

 

よくこういった寝具類では「体圧分散性」という項目が言及されるがどういった状態か皆さんご存じだろうか?

 

地球上での究極の体圧分散状態とは恐らく水に浮いてる状態である。


ジェルトロンを使用している時はまさしく「浮遊」しているような状態を体感できたのだ。

 

レビューでも「寝返りが減ってしまった」という意見がマイナス側にあったが、むしろそれは優れた圧力分散性の証明じゃないだろうか。


寝返りは本来睡眠中に一部の血管を圧縮しすぎるのを避けるための身体の仕組みである。

 

では人は無重力中でも寝返りを打つのか…?


答えは宇宙飛行士が知っていた。

 

 

相手が低反発素材の場合は圧縮されることで密度の極端な上昇が起こる。


一見して体圧が分散出来てはいるが、相手の素材の硬度が一様でなくなってるのである。


一方ジェルトロンは独特な立体構造とジェルの硬さで見事な体圧分散の一様性を実現させている。

 

冒頭で書いたように回転の力はもの凄い力である。

 

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全ての希望は『回転』の動きの中にあった


睡眠中に強いられる寝返りという本来必要経費であるストレスを極端に減らすことが出来のは大きなアドバンテージだと推測できるのだ。

(結局ジェルトロン枕の弱点は『高さ調節シート1枚で全然寝心地が変わる』くらいだった。中の高さ調節シートは合わなければすぐ抜いちゃっていい)

 

 


このジェルトロンの浮遊状態を体感して「まさか究極のベッドとは理論上水製、つまりウォーターベッドではあるまいか?」と検索してみると、たしかに理想的と言及されている記事がチラホラと出てくる。


しかし浮かび上がってきたのは「ウォーターベッドの問題点」の方だった。

 

海外では根強い人気のあるものの、日本ではすぐに廃れてしまった。

 

kaimin-times.com

 

その理由は重量、大きさ、管理、廃棄、温度、価格であった。

 

優れた体圧分散性と寝心地誇るのは間違いないが、デメリットの数々があまりに巨大すぎる。


何よりアパートじゃ選択肢にも入らない。
実質的に導入は不可能だ。

 

総合判断をすれば…考えれば考える程ジェルトロンマットレスが理論上最適解にしかならなかったので次の週にはポチってしまった。

 


いざ開封

通常巨大なマットレスを家の中に輸送するのは一苦労であり、特にスプリング製の折りたためないものは輸送が不可能に近い。

 

ジェルトロンマットレスも普通に輸送すればとてもじゃないが入れれない大きさだったが、玄関先でダンボールを開けてウレタン部分とジェル部分x3に分けて運べば狭い部屋へも余裕で輸送可能だ。

 

e-Mosシステムで事前に設定したジェルの硬さ順に並べて設置も簡単。

(216種類とうたっているが、結局尻が一番大きく、足部分が軽いので設置パターンは6種類+αだろう)

 

geltron.jp

 

ジェルトロンマットレス自体は好通気性をうたっているが、流石に地面に直置きだと通気が悪いので、ベッドが無い場合は下に「すのこ」を敷くことをオススメする。


まず驚いたのは一踏目…寝る場所に足を踏み入れると凄まじい沈み込みと反発力が感じられる。


しかし下に敷いているはずの「すのこ」の存在自体が感じられない。

 

ニ○リのマットレスの上に布団を敷いて寝てた時は布団を足で踏むと下のすのこがミシッと音を立てるのに、飛び乗っても音すら無い。


次に驚いたのが寝た時…スプリングやウレタンのマットレスで寝た時とは異なり、身体全体が沈み込まず浮いているような感覚がある。なおかつお尻部分は凹んで包み込んでくれている。

 

レビューとは異なり、身体の回転もかなりしやすい。


身体が全体的に浮いたような感覚なので、沈み込むウレタン系マットレスよりもむしろ寝返りが楽である。

 

この感触で「寝返りが減る」のであれば…まさに身体への負荷が減少してる証拠だろう。

 


また、何より注目したいのが耐用年数だ。

 

大体の低反発マットレスは5年もしたら明らかにヘタって使い心地が変わって来るが、こちらの布団屋の店主レビュー曰く実使用で9年使用で大差無しとのこと。

 

www.marutokukagu.com


(しかも他の販売代理店よりちょっと安い)

 

販売元も強気で「1cmヘタりを10年保証」ときたもんだし、仮にジェルがヘタったとしてもパーツ毎の買い替えが可能らしいので省コストというわけだ。

 


とりあえず3週間寝てみたが…

 

隙が無い。

 

否定する点が特に無い満足製品であった。

 

唯一の注意点はマットレスの縦の長さだろうか。

僕の身長は178cmであるが「気持ち短いかな?」と思うことがある。
(マットレスの外周部はウレタンで、枕がでかかったらその部分に大体足が来てしまう)

 

また、マットレスの高さに関しては特別なこだわりが無ければ150mmで十分だろう。

 

 

人生の1/3はベッドの上で過ごすことになる。

 

皆さんも自分に合う寝具を探す旅に出るのは如何だろうか?

バーチャルYoutuberはパーフェクトメンヘラストームを引き起こすのか

「今の世の中、話題にしちゃいけないのは野球・宗教・政治・バーチャルYoutuberですよ」

 

先日某氏の配信をいつものように見ていたらそんなワードが飛び出した。

 

「まぁ拡大解釈すると宗教と宗教と宗教と宗教なので」と一瞬頭を過ったが、そんなマウント厄介オタクの理屈だとこの世のあらゆる事象が宗教になるので一旦切り分ける。


この言葉を聞いた時にとある放送をすぐに連想した。

 

先日のDeep Web Underground(DWU)ちゃんの生放送である。

 

www.youtube.com

 

既に消されてしまってアーカイブが残ってないが、魚拓みたいなものはWeb上にチラホラある。
まぁ超ザックリの概要はこうだ。


DWUの中の人が怠惰な運営さんにウンザリ

愚痴放送やらなんやらあり、ついに問題の生放送へ

運営が事の経緯を説明

DWUの中の人がキレ散らかす

運営の人がブラックユーモアを交えながらDWUと視聴者に問題提起する。

DWUの中の人が更にブチギレる

ま、もう面倒くさいので権利等は全部あげますので頑張ってくださいと終わる

DWUの中の人が独立する


ちなみにDWUの中の人が切れ散らかしてた内容は「ちゃんとメールを返さない」とか「平気で遅刻してくる」とかそういう内容で「まぁそら怒られも発生しますわな」という話である。

 

それに対して運営側が「遊びでやってることなので…」と返すとDWUの中の人がこう言ったのだ。

 

「遊びみたいなことをちゃんと仕事にするからVTuber業界成り立ってんだろうが!」

 

動画中は終始溢れんばかりの運営側への中傷コメントとDWUの擁護コメントが流れ、
クソ運営乙!DWUちゃん良かったね!めでたしめでたしと番組は終わったわけだが…

 

 

 


はい

 

ものすご~~~~~~~~~~~~~い違和感を覚えましたね

 

待て待てと

 

ご存じ無い方には説明するのが死ぬほど面倒くさいので省略しますが、DWU誕生の歴史的にそもそもの所で純度100%に遊びで始まってたのでは?

 

www.youtube.com

△元々こんな感じで始まってる


運営側は終始一貫して自分たちが面白いと思うことをセッティング・実現してゲラゲラ笑ってただけなのでは…?


それを捻じ曲げて「仕事」にしたのは一体誰だ…?

 

 


問題の生放送もめちゃくちゃ面白かったのだ
部屋でゲラゲラ笑い転げてしまった程に

 

動画自体が「昔のインターネット」として完成した作品だったと思うのだが、横のコメント欄がもう「現代のインターネット」そのままで、まさに画面の左半分と右半分に僕の知るインターネットの20年が同居してて美しさすら感じてしまった。

 

ありゃバンクシーですよバンクシー
一つの美術作品だ

 

最後に一つの作品を作ってあげて、同時に全ての権利をスッパリ放棄する。


それが自分の遊びで少なくとも迷惑を被ってしまった(らしい)DWUの中の人への手向けとなる。
(正直迷惑賃込みにしてもDWUの中の人の収支はどう考えてもプラスだと思うけれども…)

 

「なんて優しい運営なんだ」と正直感動した。

 

しかし放送が終わった後しばらく調べてみましたが、誰もその優しさに触れていない。

嫌な時代になったもんだと思ったものだ。

 

 

 

バーチャルYoutuber大分類

 

さて、以上のようなDWUちゃんの名言から分かる通り、大体バーチャルYoutuberは大別できる。


①クリエイタータイプ
②アイドルタイプ


①のクリエイタータイプはいわゆる技術勢であり個人勢が多い。
かわいい外見も大体が自ら調達しており、自分の好きなコンテンツを創り出し語っている。

 

僕がよく見てる中で該当するのは…

 

ナナホシすず

www.youtube.com


男鹿ちゃん

www.youtube.com

 

等だろうか。

 

めちゃくちゃマイナーだと思うけれども、プロモーションしたいことをカタチにする方法として上手く活用されてると思う。

 

最近更新はしてないけどシテイルチャンネルも好き。

www.youtube.com


このチャンネルは動画を通して会社のプロモーションを行うためのものである。

 

その他絵描き系のVtuberは自らの作品をプロモーションする手段として主に用いられているわけだ。

非常に分かりやすい構図である。

 


さて、では②のアイドルタイプは一体どういったものか?

 

代表格として

 

キズナアイ
輝夜

 

とかだろう。

 

自らを一人のキャラクターとしてプロモーションしていくことで自らにコンテンツとしての価値を付与していく形である。


構図自体が実際のアイドルとほぼ同一だし、裏方は複数の人で回さないと難しいと思うので多くは事務所に属している。

 

昨今よく語られるにじさんじやホロライブ系もこっちのアイドルタイプに入るかと思う。

 

電脳少女シロはこのアイドルタイプとして生み出されたにも関わらず、クリエイタータイプとしての気質も持ち合わせていたのでちょっと独自路線を進んだのかもしれない。


各事務所のアイドルタイプもハイブリッドタイプの気質の人がチラホラいたりする。

 

個人でやってる名取さなはハイブリッドタイプの代表格じゃないだろうか。

www.youtube.com

あそこまで自分をプロデュースしてコンテンツも創れる人はとてつもないと思う。

 


さて、問題のDWUちゃんはどっちにいたのか?

 

当初は間違いなく①のクリエイタータイプとして生まれたはずだ。
それが②になりたい人がいて、勘違いが生じてしまった…悲しいお話である。

 

いや、そもそもDWUちゃんの中の人はDWUちゃんをプロモーションしたかったのか?


もしかしてDWUの中の人という自分をプロモーションしたかったんじゃないのか?

 


と、ここまで考えて

ん、待てよ…?もう一種類いるぞ…?となってきた。

整理してみよう

 

①クリエイタータイプ
対象物(物・会社等)をプロモーションする。

 

②アイドルタイプ
被ってるガワ自体をプロモーションする。

 

となると1箇所だけ対象外がいる。

そう、「自分自身をプロモーションしたい人」はこの2タイプには入ってこないのだ。

 

そうすると第3のカテゴリが出てくる。

 

異世界転生タイプ
中に入ってる自分自身をプロモーションする。


今回語りたい本題がやっと出てきた。
Vtuberの皮を使って自分自身をプロモーションするのは危険を孕んでいるといった話だ。

 

 

〇バーチャルとリアルを切り離すことは可能か


そもそもバーチャルは実物になり得るか?という言説は既に説いてきた。

mekasue.hatenablog.com


概要をザックリ書くと「バーチャルは現実と地続きの領域なので普通に新しい人格を形成するのは不可能である。可能性があるとすれば過去の自分を全て捨てて一人のアイドルを演じるしかない。」という話だ。

 

これは先程例にあげた②のアイドルタイプのプロモーションと同義である。

図にするとこんな感じ

 

 

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△バーチャルとリアルは並行する。ネットは『裏』でありまた異なった場所である。

 

アイドルとしての存在を創り出すことは誰でも出来るはずだけど、そこに自我を求めると基本的にエラーを起こす。


何故エラーを起こすかというと「そもそも面白くない奴は新しい自分を普通に作っても根本的に面白くない」からある。

 

現在は物珍しさからチヤホヤされるが、変わったのは容姿だけであり、本質的には何も変わっちゃいない。


結局は「自分自身として活動していく中で容姿を気にして発信しないでいいから有利だし楽」という使い方が異世界転生タイプの正しい使い方だ。

 

一方、自分と違うキャラクターを作り出したのにも関わらず、自分を評価としてほしいという場合は話が変わってくる。


この場合異世界転生タイプというよりは「オタサーの姫タイプ」だ。

 

 

オタサーの姫タイプとメンヘラの仕組み

 

オタサーの姫タイプは現実世界で承認欲求に欠乏していることが動機となって始めており、ある程度の承認で満たされるのであればそれは大した問題ではない。

 

問題は既に『メンヘラ』と呼ばれるような常に承認欲求が欠乏しているような状態だと大変危険だということにある。


『メンヘラ』という言葉は一時期はネットミーム的によく使われたが、昨今は若干使用頻度が減ってきたように感じるので軽く説明しとくと
2chメンタルヘルス板にいそうな人間」の総称で男女問わず心の病気を抱えてる方を指したネットスラングである。

 

男女問わずメンヘラさんとお付き合いしたことある人は皆口を揃えて「メンヘラはやめとけ」と言うが皆さんは何故かご存じだろうか?


皆一様にこう思って踏み込んだはずである

 

「僕なら(私なら)この人の支えになることが出来るだろう。メンヘラを克服させてあげることが出来るだろう。」

 

しかしダメだった。

なんなら取り込まれてしまって自らの精神も病んでしまった。

 

その結果、全員の結論は「メンヘラはやめとけ」になってしまったのだ。


この辺はメンヘラのエネルギーみたいなものを社会的価値に変えようと奮闘していた小山さんがもの凄い嘆いていた文章にもありありと顕れている。

 

 

 

 

 

 

ただ承認欲求が欠乏している状況であれば繋がりを増やすことで応急処置をすることができる。


また、その繋がりの数を増やしていくことで安定した精神を取り戻すことが出来る。

この辺の言説はプライド分散理論という記事で語った通りである。

mekasue.hatenablog.com

 


問題は承認欲求が注がれる自らの器に問題が生じている状態だ。

 

よく「メンヘラの承認の器は底に穴が開いているので注いだとこから漏れていく」という言説を見る。


女性の場合の多くは多分この「穴が開いている」が正しい。

 

これもよく言われる「女性の恋愛は上書き保存で、男性は名前をつけて保存」という言説で理解するのが簡単かと思われる。


ここでの「穴」とは「上書き保存」すなわち「忘却」である。

 

一方男性メンヘラの場合はどうかというと、観測上では穴が開いているタイプもいるが多くは「自分の器の大きさを勘違いしているタイプ」である。


承認欲求が器に注がれても微々たるものであるし、すぐに乾く。

上昇志向が強いタイプに多い傾向となる。

 

 

〇幸せポイント理論とメンヘラブラックホール

 

さて、そんなメンヘラ型オタサーの姫Vtuberの何が問題なのか?

以前シャブセックス理論という言説でも書いたが、人類の共通の目標は気持ちよくなることである。

 

mekasue.hatenablog.com

 

しかし人それぞれに気持ち良さを感じる度合い等違ってあたり前なので、私は個人毎に「幸せポイント」を設定することを推奨している。


幸せポイントは「気持ちよさ」の個々人による大きさを数値化した概念である。

 

ちなみに私の幸せポイント基準は「朝起きて窓から外を見たらいい天気だった」が1幸せポイントだ。
香川の88氏と以前「何故我々は公園の夜桜に癒されるか」を議論した時に生まれた概念である。

 

幸せポイントの基準設定は「自然が与えてくれるもの」の方がいい。


物や成果から得る幸せポイントは状況によって著しく変化するからだ。

 

逆に一様に奪っていくものも大体自然現象だったりする。

地震とか台風とかそういったものが原因となる。

 


低労力で幸せポイントが大きいものはいいものだし、重労力で幸せポイントが少ないものは悪いものである。

 

人のモチベーションや動機なんかはそれぞれだと思うが、「ふとやろうと思った人助け」なんかはこの幸せポイントが関連していることが多い。

 

例えば足が悪い人が階段を登ろうとしている時に荷物を持ってあげること。

 

おばあちゃんには重い労力だが、若者には非常に軽い労力である。
代行してもらうことで若者は感謝され気分がいいし、おばあちゃんは労力が省かれて嬉しい。

 

非常に軽い労力で総幸せポイントが上がってる状態となる。

 


また、消費される労力に対して賃金を設定することで仕事は遂行される。

 

サービスによって消費者が幸せになり、対価をもらって販売者も幸せになる構図である。


どこかで必ず割を食ってる人はいるのは間違いないのだが、理念としてはなんだかんだで人類は基本的には全体の幸せポイント量を増やそうとする方向で動いている。

 


その中で異質な存在がメンヘラである。

 

ポッカリ空いた穴に注がれる労力は悉く忘却され無かったことになり、総幸せポイントを減らし続けるいわばブラックホールである。

 

人はその穴が塞ぐことで総幸せポイントが増えることを信じて労力を捧げるが、総幸せポイントは減らされ続けるわけなのでいつしか与える側も病んでいく。


よく耳にする「悩み相談を親身に聞いていた人が飲み込まれて病んでしまう」という問題も同質である。

 

その結果生まれる言説が「メンヘラはやめとけ」である。

 

触れる時点で間違っている。メンヘラはいわば自然災害と性質が酷似しているわけだ。

 

 

バーチャルYoutuberが災害を引き起こす日


そんなメンヘラ達はこれまでどうやって生きのびて来たか?


誰かから幸せポイントを吸い上げて生き延びてきているだろうが、大々的にはしなかっただろう。


大々的にしてしまったら社会から迫害の対象となり、吊るしあげられてしまうからだ。

 

社会のつまはじき者達やプライドが高く口外しないものを選んで幸せポイントを吸い上げてきた。

だからこその「オタサーの姫」にはメンヘラが多く、昔のインターネットで長く語られてきた概念なのである。

 


それが今回のDWUちゃんの事件はどうだ?

 

コメント欄はユーザーは全員「現代のインターネット利用者」、すなわち世間でありDWUちゃんは紛れもない世間に現れた現代のオタサーの姫である。

 

これで彼女がもしも承認欲求の器がぶっ壊れたメンヘラだったら…?

 

想像に難しくない。

 

これまで見たことない規模に膨らんだブラックホール、次に起こるのは確実に大規模災害である。

 

 

〇パーフェクトメンヘラストームは発生するのか?

 

昨今急速に人権やらなんやらの議論が進んできた気がする。


その原因の一端には間違いなくスマホの普及による現代のインターネットの一般化がある。

 

議論自体は何も悪い事ではない。
むしろ積極的に進めるべきことである。

 

しかし、議論ではなく一方的に権利を要求する構図は…間違いなくメンヘラのそれと酷似している。

 

メンヘラは一人では力が無いだろう。

 

ただ、現代のインターネットにより複数のメンヘラが集まることで台風を引き起こすことが可能になってしまった。

 

今後バーチャルという皮の力を得た時…

 

もしかしたらパーフェクトメンヘラストームが世界を飲み込んでしまうのかもしれない。

弱者とは何者か -コロナ禍による社会変化と弱者発生のメカニズム-

コロナ禍と社会の変化

 

「密になる場を避けるべき」という根本的ではあるが問題の先送り的な解決策を取ることによって、色んな物事がこれまた根本的にひっくり返されまくっている。

 

教育も、企業も、変化せざるを得ない状況に追いやられており、これまでにもやろうと思えば出来たはずのテレワーク化が驚く程のスピードで進んでいる。


コスト面や人の意識も含めた『変化への抵抗勢力』に穴が空いたのだ。


ただ、そもそも何故出来るはずのことが危機的状況に陥らないと出来なかったのか?

 

答えは簡単で「誰かが不利益を被るから」である。


例えば原料コストの仕入れ値が上がれば、販売値を上げなければ不利益を被る。


下請けの企業もコストを上げざるを得ない。


当然販売元もコストを上げざるを得ないので最終的な消費者にしわ寄せが来る。
(大体下請けにめちゃくちゃ大きなしわは出来ちゃってるんだけど)

 

一見企業も消費者もWin-Winと思えるようなことも、実装のための現場の労力が大きく上がってしまうならばその物事は進まない。

 

長い目で見れば全員が全員得をするということは目に見えている事柄でも、一時の痛みを誰かが伴ない犠牲になるのならばそこが『変化への抵抗勢力』となる。

 

誰も一時的とはいえ損はしたくないのだ。
(余談だが、一時的な損を長期的視点で取り戻すのが投資の本質だと考えてるのだが、投資という言葉自体の意味合いが変わってきている気がする。)


都会が便利になるための不利益は人件費と土地代の安い地方へ押し付けてきた。
地方の抱える不利益は海外へ。
押し付けた国が発展しだすと、今度は人件費がもっと安い国へと不利益を押し付けていたのが現状である。

 

現代社会に奴隷制度はない」と人は口を揃えて言うが、この資本主義社会は見方を変えればただただ世界規模に構築された奴隷制度だ。

 

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現代社会における逃げ場は減り続けている

 

 

日本のケースと社会問題


日本で見れば戦後、経済の基盤が安定してから当時の時代に則した社会のシステムが形成されたものの、次第に社会とシステムの間にひずみが生じ、完全に限界に陥っている。

 

社会の形は大きく変わったのにも関わらず、教育や企業の姿はほとんど変化していないのだから当然である。

 

企業は不利益の部分を子会社に出し、下請け会社に出し、海外に出し、それでも残ったしわ寄せを体力のある20~30代の若手に強いてきた。


寿命は着実に伸び、社会保障で経済は圧迫されている。


教育も頑なに変化は無く、社会が形成するしわ寄せの影響は結果として致命的に育児に影響を及ぼしてきた。


昭和の時代、家長と専業主婦により形成されてきた、あるべきとされる「家庭」の形を、現代に共働きでまともに形成するのはほぼ不可能と言ってもいい。


必ず新たに発生したしわ寄せが保育や介護にのしかかる。

 

この辺を解決するには各種リモートワークの導入は必然の課題ではあったはずだが、企業や教育はそのしわ寄せの引き受けを拒否し続けてきた。

 

いわゆる「社会問題」はこういったしわ寄せにより極端にしわの寄った部分の顕在化である。

 

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△健康的で文化的な最低限度の生活、いい漫画です


一方で今回のコロナ禍ではどうだろうか。

 

全人類に対して比較的フラットに襲い来るコロナ禍によりしわが寄ったのはどこか
驚くべきことに教育と企業である。

 

ただ、私は正確には教育と企業にしわが寄ったわけではないと考えている。

 

これまでより比較的平らに「しわが均された」結果、教育と企業にしわが寄ったように見えているだけである。

 

 

 

弱者が持つ要素とは何か?


さて、前置きが長くなってしまった。

 

タイトルにもなっている「弱者とは何者か?」という話だ。

 

皆さん「弱者」と聞いたらどういう人を想像するだろうか?

 

パっと考えるとケンカが弱い人やゲームが弱い人といった身体的・能力的な弱者だろうか?
お金が単純に無い経済的な弱者だろうか?
それとも社会的弱者と呼ばれるような障碍者や老人・子供だろうか?
それとも少数民族や性的少数派のような制度整っておらず、権利がハッキリとしない人達のことだろうか?

 

多分、全て合っている。

 

この人達の共通項は「出来ないことがあったり、持ってない権利がある」ということである。


では全ての老人は弱者だろうか?

 

もう1年も前のことだが、池袋での自動車暴走死傷事故を起こした老人のことを皆は「上級国民」と呼んだ。

 

弱者のことを「上級国民」等と言うだろうか?


80歳を超えてもなお彼は強者として世間に扱われていたのである。

 

このことから言えるのは、たとえ身体的・年齢的に弱者と呼ばれる部類であろうが、金銭的・権威的に強者であればそれは弱者ではないと共通認識を持っていることだ。


と、いうことは弱者とは先にあげた「弱者の要素」を全て満たす必要はあるのか?

 

経済的に恵まれず身体的に恵まれず、若くて性的多数派な弱者もいるだろう。

 

しかし、その弱者が「私は弱者だ!!」と看板を掲げて暴れ回っていてはどうだろう。

私にはその人は強者側にいるように見える。

 

少なくとも同じ境遇の人でも弱者とそうでない人がいる。
状況によって大きく変わってくるのである。

 

 

 

弱者とは何者か?

 

では弱者とは一体何者なのか?

 

私は「選択肢を持っていない者」が弱者だと考えている。

 

一般的に弱者とされている人の例を挙げてみよう。


例えばいわゆるブラック企業で働かされている者である。

 

労働力を低賃金で搾取され、生かさず殺さずギリギリの生活を強いられる。
金が無いから貯金が出来ない。貯金が出来ないから引越し・転職資金が貯まらない。
働くことを辞めると生活費を捻出することができず、すぐに破たんしてしまうような状態。

 

自転車操業的な資金繰りしか出来ない状態は他の選択肢を選ぶことが出来ない。
少々不利な条件が提示されたとしても選択肢が無ければ選ばざるを得ない。


そうしてスパイラルに陥っていく。

 

各種生活支援を駆使すれば脱出は可能であるが、それを知らない、あるいは自尊心から選択出来ない。


そういう状態の人が弱者ではないのだろうか?

 


例えばDVを受けている子供である。

 

日常的に暴力を受け、罵詈雑言を浴びせられる。
しかし相手は父親ないし母親であり、家は一か所である。
頼りになるような親戚もいないし、学校も相談することはできない。


働ける年齢ではなく、家出したとしても家族に連絡されてしまうような状態。

 

「子供」が「夫」や「妻」になっても同じようなもんである。
収入が無いから出ていけない。子供がいるから出ていけない。

 

やはり各種支援を使用すれば脱出は可能であるが、それを知らない、あるいは恐怖心から選択出来ない。

 


と、こういう2例を挙げれば「やはり金が無いのが弱者なのではないか!?」と考えそうだが、9割合ってるが1割間違ってると思う。


何故なら「金」は選択肢を増やす上で最も効果の高い要素ではあるが決して万能ではないからだ。

 

金があれば確かに新しい土地にも行けるし、新事業を敢行するようなチャレンジもできる。


しかしそんな便利要素を手放さざるを得ない状態に直面してしまうと枷となってしまう。

 

金がある弱者ってどんな状態か?と言われればそれは弱味がある場合である。

 

例えば不正取引の現場を押さえられた。
不貞の現場を押さえられた。

 

社会的地位を落とし損失を被りたくないあまり、選択の余地が無くなった状態は弱者そのものである。


先に挙げた夫が家庭内DVを受けるケースでも夫側に収入がある場合がほとんどであろう。

 

離婚という自身の社会的イメージの損失に恐怖する。
あるいは子供の生活が保てなくなることも予見出来てしまう。

 

抵抗を試みることも可能だが、それを起因として裁判を起こされると現代社会では妻の方が圧倒的に有利である。


となると、やはり自身の選択肢を増やす要素である「金」や「社会的地位」を失ってしまう。

 

そういう状態に追い込まれ、身動きが取れなくなってしまった夫は弱者であろう。

 


やはり収入の如何は弱者かどうかの判定において大きな要素を担うが、決定するものではない。

 

結局選択肢が一つしか取れなくなった状態が「弱者」の姿そのものである。

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△負け戦を強いられることは目に見えている

 

 

 

強者とは何者か?


それでは逆に「強者」は何者なのか?


究極的には恐怖を持たない者であると私は考えている。

 

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△恐怖を感じなければ無敵である


選択肢が少ない者が弱者だとすると、単純に考えれば選択肢が多いものは強者となる。

 

しかし、たとえ選択肢が多い者でも選択肢の一つとして持つためには一定の基準が存在する。


その基準は「自らが傷つかないこと」で、究極的には社会的な死も含めて「死なないこと」である。


死んだら元も子も無いので、普通の人は死ぬ要素が見えることは極力避ける。

 

ここで面白いのは、散歩することもドライブすることも極論的には死ぬ要素のあることなのだが、可能性として極めて低いので無意識に除外してしまっている。


自分が今この瞬間死ぬ可能性があるということを認識していないのだ。

 

 

仮に車に乗ることで死を感じてしまう場合は避けるだろう。


飛行機を避ける人も多くは墜落した時のことを想像してしまうからだという。

 

死を実感出来る程高い確率のものは避けようとするのだ。

 


今回のコロナ禍でも一定層「特に恐怖心を持ってない人」が存在する。

 

そういう人は単純な話で自分が死なないと本気で信じている人、あるいは日常的に死が周囲に蔓延ってるのを確信しており、今回のコロナ禍で死、あるいは社会的な死のリスクが大して上がっていないと確信している人である。


選択肢が豊富にある状態ならば傷つかずに新たな選択肢を増やすことも可能かもしれないが、下降曲線を描き出した後から選択肢を増やしていくには傷つくことを認める以外に基本的に手段は無い。


下降曲線を描く原因は年齢的な要因や身体的な要因や環境的な要因等、人それぞれだろう。

 

傷つく可能性が高くても、選択肢が増えるという実利は非常に重要である。


傷つく恐怖とリターンを正しく天秤にかけ、実行することさえ出来れば一つずつ着実に強くなっていくのである。

 

その辺のことも含めて以前概念を文書で書いたので暇な時に読んでみていただきたい。

 

mekasue.hatenablog.com


グーしか持っていなくても最強のグーを持てればそれは大きな価値となるかもしれない。

 

その領域を目指す行為は非常に尊く否定はしないが、いつかは最強のグーはいつしか衰えたり、通用しない世界がやってくるのは間違いない。


その時にチョキやパーを持っていなければ驚く程急激に弱者の域に入っていってしまうそのことは覚悟しておくべきである。

 

 

 

おわりに


子供は無敵である。

その本質は恐怖心が無いからである。

 

大人は弱い。

何故ならこれまでの経験から恐怖に支配されているからである。

 

恐怖を持つには知見が要る。
恐怖に打ち勝つにも知見が要る。

 

人は火を取り扱う上で初めは必ず火傷をするだろう。
しかし、その経験を通して火との適切な距離感や対処法を学んだのなら恐怖を払拭することが可能だ。

 

『弱者』には必ず誰しもが一度はなる。


それはいつになるかは分からない。


死ぬ寸前に初めて弱者になる人もいるだろう。

 

この文章は弱者にならないと理解の及ばない話かもしれない。


しかし、もしも貴方が弱者になってしまったのなら、この文章が指針になれば幸いである。

VRで花見をする

昨今の情勢により、外出しにくい状況となってきました。


あらゆる人が集まるイベントが中止になっており、土日の予定が無くなったとお嘆きの皆さんも多いはず。

 

そんな中、こんな試みが行われています。

 

togetter.com

 

会社でもリモートワーク化が進む中、飲み会もリモート化したらどうだ?というお話。
Twitter上でも観察してましたが、SkypeやZoomの導入が急速に進んでいることもあり、今週末は結構行われていたみたいです。

 

さて、春の飲み会といえば…そう、桜を見ながらのお花見ですね。

 

でもこういったリモート飲み会だと流石に桜は楽しめない…

さてどうするか?


VRで花見すりゃいいじゃん!」

 

と、いうことで先週の日曜日にVR花見を開催してみました。

 

 


使用機器はOculus Rift S
使用ソフトはVRChat
お借りしたのは雨鮭さんのワールド「IWAKURA_GARDEN-SAKURA-」

 

 


VRChatではVR上で飲み会をするためのワールドが多数あるのですが、飲み会自体が大体夜に開催されるため、昼に飲み会をするワールドは少ないです。


その中でこのワールドは花見らしくお昼が基調で、夜桜も楽しめるということで選ばせていただきました。

 


VR飲み会自体興味は結構あったのですが、筆者は普段一滴も酒を飲まず、お花見自体も何年かぶりという環境
とりあえず以前から興味があった檸檬堂のレモンサワーを買ってきていざ行かん

 

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みんな揃って乾杯

 

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みんなでワイワイ

 

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桜を見ながらのお昼寝も大丈夫



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お酌をしてくれる子もいます



流石に桜をフルで3D表現するととんでもないことになりますので、テクスチャを駆使して立体感があるように見せてる感じですが、十分ですね。

参加者の評判も上々でした。

 

飲み会欲が溜まってきた皆さん、お家でVR花見はいかがですか?

オススメですよ。

 

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