とある格闘ゲーマーが到達した人生の道しるべ ②世界ランク理論

第2章 世界ランク理論

さて、第1章のプライド分散理論が壮大な話になってしまったが、気負う必要は無い。
残りの2理論は基盤3理論と私個人が呼んでるが、プライド分散理論の付随理論みたいなもんである。

≪目次≫

第1章  プライド分散理論
 第1節  プライドの定義
 第2節  現代日本におけるプライドの形成
 第3節  プライドの仮設
 第4節  現代日本でのプライド仮設の問題点
 第5節  プライド分散
 第6節  プライド分散のススメ

 

第2章 世界ランク理論⇐この記事はココ
 第1節 自己分析 自我の目覚め
 第2節  自我の目覚めのプロセス
 第3節  世界ランク理論
 第4節  感性のキャリブレーション

 

第3章 シャブセックス理論 

 

第4章その他の理論について
⇒腐るほどあるから本人に聞きに来てくれ

 


第1節 自己分析 自我の目覚め


世界ランク理論の構築が始まったのは僕の就職活動中である。

 

恐らくここ10年ぐらいの大学生の就職活動において履歴書を書く前にする恒例行事があるだろう。


「自己分析」である。

 

例に漏れず大学の就職センターが主催する就職セミナーに出た私は、配られてきた自己分析用の用紙を一気にビッチリ埋めた後にトイレに立った。

 

その時私が周りを見渡してみるとどうだろうか。

 

開始5分で9割の人が未だ白紙の紙を持っていた。

 

私は驚愕した。
途中で止まっているのなら分かる。


文章の構成に得て不得手はあるし、とりあえず箇条書きにするのも手である。

しかし白紙とは…

 

そして聞こえる話し声

 

「自己分析が分からない」

 

ここで更に雷に打たれると共に気付いた

『分かった。自我に目覚めていないんだ。』

 

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△こんな与太話を真に受けるんじゃない。自分で考えるんだぞ。「星明かりグラフィクス」より

 


さて、世の中で当然のように使われる「自我の目覚め」という言葉。


あなたが自我に目覚めたのはいつだろうか?

2歳?3歳?

 

残念ながら恐らく貴方はその時自我に目覚めていない。
「物心がついた」のである。

 

さてここで自我の目覚めについて定義しよう。

 

自我の目覚めとは「自分で物事を判断できるようになることである。」

 

こう書かれると「そんなの4,5歳にはついてた」と考えるのではないか?


しかし、やはり大半の人は確実に自我は目覚めてない。

 

本当に自分の好きなことを自分で選んでたのだろうか?


そこに親の意思は無かったか?そもそも選択肢を狭められなかったか?兄弟はやってたか?友達はやってたか?


何かの影響は本当に無かったと言えるのか?

 

言えるという人は大したものである。恐らく親が非常に優秀でお子さんの自我を育んでおり、本人も極めて聡明なのだろう。
おそらく若くして起業家になったりしているのではないか。
いやはや素晴らしい。

 

しかし、ほとんどの人は確実に"影響があった"のである。

 

乱暴に言ってしまえば「思考停止」という言葉が出てきてしまうが、日常にはこういったバイアスは無限にかかってきている。


「テレビでやってたカフェ」「チラシで見た商品」「友人オススメの器具」「ナビサイトオススメのご飯屋さん」


全てが決して自分で判断してはいない。仮に美味しかったとしてもやはりバイアスがかかってしまっているのだ。

 

言うなれば数学の答えを見てから解答しているようなもんである。

 

別の解答があったとしても、必ず見てしまった解答に引っ張られていってしまう。

 

自分での判断は、滅茶苦茶多大な労力がかかってしまうのである。


その労力を補ってくれるのがサービスであり、お金が集まる理由であろう。

 

大部分の人は自分で判断しなさ過ぎて自分のことが判断出来なくなってしまっているのだ。

 

 

第2節 自我の目覚めのプロセス

 

さて、話を戻してもう一度質問しよう。


「貴方が自我に目覚めたのはいつですか?」

 

途端に自信が無くなってしまったのではないだろうか。


流行がテレビによって作られ、情報が新聞や雑誌でのみ共有され、個人の意見が広く発信されなかった頃、果たして自我に目覚めれた人はどれだけいたのだろうか…?

 

とある実業団の陸上競技のコーチの講演でこういう話があった


「実業団に所属した選手にまず行うのは"教育"です。その後に知性がつき、能力がつきます。」

 

違和感を覚えないだろうか?
実業団として所属する陸上選手の多くは大卒である。能力前提の話では…?
にもかかわらず、教育と知性が最優先…?

 

つまりコーチは何を言いたかったか

 

多くの選手は「考えるとこまでも至ってない」のである。


この辺の構図は実に分かりやすいのではないか。

 


昨今はデータによるスポーツがどんどん浸透していき、トレーニングも効率性が求められているものの、ほんのひと昔前は水を飲まずにうさぎ飛びが当たり前の時代である。


はたしてうさぎ飛びの効果は検証してきたのか?水を飲まない効果は検証してきたのか?

 

答えはおそらくNoであろう。誰もしてこなかったから、伝統的に残ってきたのだ。

 

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△最近のスポーツ漫画は随分理論的なのが増えました。好き。 「神様のバレー」より


 

 

「それは体育会系の話だから」と文化人は考えるかもしれないが、本当にそんな問題だろうか?

 

その時に一緒に講演に来ていた陸上競技の元オリンピック選手に質問できる機会があったので、私はたまらず聞いた

 

「自分で考えて競技をやりだしたのはいつからですか?」

 

周囲から笑いが起こる中、しっかりとその選手が答えてくれた。

 

「ケガをした時からですねぇ…20か21歳くらいでしょうか…」

 

その時確信したのだ。


「この人は、その時自我に目覚めたのか」と

 


自我に目覚めるタイミングはどうやら大きな挫折や怪我、病気を被った時に引き起こし易いと推測している。


安全な道を行ったり、誰かに常について行ってしまったり、何の因果か勝ち続けてしまった人はそもそも物事に対して疑念を挟むことは基本的に無い。

 

これについては責任逃れを続けている人も含まれる。悪くない以上挫折はしないのだ。何故なら悪くないので。

 

この辺は最近は『空よりも遠い場所』でも描写されていたのではないだろうか。キマリは自分や周囲の環境に疑念を抱き、自我に目覚めの第一歩を踏み出したのだ。

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△「よりもい」は自我に目覚める話です。 ガッチャマンクラウズもよろしく。

 

また、勝ち続けてしまう人の要素については、プライド分散理論で登場した能力が追い付いていない資産家の子供が該当してしまうことからも彼ら彼女らの危険度の高さが伺えるだろう。

 

よく聞く例としては「死ぬ直前におじいちゃんは人が変わったように優しくなった」という話だ。

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△死の恐怖で自我に目覚めた時、人は優しくなる 「惑星のさみだれ」より



私は寿命宣告という挫折によって自我に目覚めてしまった影響であると考えている。

 

自分で判断できるかどうかの根底には「疑念を持つこと」がある。


本当にそれでいいのか?もっと最適な方法があるのではないのか?

 

自分なりの解答を常に用意することが『自我の目覚め』であり、『気付き』のプロセスである。

 

 

さて、これまで書いてきた自我の目覚めのためのプロセス中の重要な要素に気付いただろうか。

 

そう、プライドの存在だ。

 

挫折は何から生まれるか。おっ立てたプライドがへし折れた時にこそ生まれるのだ。

 

すなわち、まず最初にプライドを折らないと人は必ず気付かない。


折れれば折れるだけ人は気付いていくのだ。

 

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△イキった先に道はある。イキろう。 「10DANCE」より


ここでプライド分散理論の重要性が分かるだろう。

 

1本だけおっ立てた状態で折れてしまった人はいきなり死に繋がってしまう。


1本をひたすらおっ立てないと戦えない世界で戦っている人が非常に陥りやすいのだが、ここまで書いたら読んでる皆さんもどんな世界の話か想像がつくのではないか。

 

若くして折れたらそれはもうチャンス以外の何物でもない。


歳をとって初めて折れたらまぁ後は死ぬだけなのだが、30や40歳で折れてしまうとそういう話ではなくなってしまう。


気付いた頃にはもう既に手遅れになってしまうのだ。

 

少なくとも2本以上のプライドを仮設した状態で折らないと身体は死ぬ方に舵が切れてしまう。

 


第3節 世界ランク理論


さて、このブチ折れたプライドは廃棄するしかないかと言われるとそうではない。
プライドは割と簡単に再建することが可能だ。


しかし再建するにはまずブチ折れた理由を自ら理解せねばならない。

 

プライドが折れる理由は「世間が思う自分(評価)」と「自分が思う自分(自意識)」との乖離である。

 

世間が思う自分の序列が高すぎると卑屈な方向に傾いてプライドの役割を十分に果たせなくなる。


自分が思う自分の序列が高すぎると自意識に評価が追い付かなくなってプライドがポッキリと折れてしまう。


前者のままプライドを維持し続けると機能不全となるので考えにくく、自然な流れで人間は後者に突入する。


いわゆる「イキり」と呼ばれる現象と言うと分かりやすいだろうか。

 

 

プライドを立てることに成功したと感じた(実際にはプライドの体をなしてなかったとしても)人は自然の流れでイキるのだ。

 

このイキりは基本的に評価より先行してしまうので、通常は乖離が発生しプライドが折れてしまうという流れになるのだが、本当の実力者の場合はこの先走るイキりに評価が追い付くので上手くプライドがそびえ立つことになる。

 

しかし、このプライドをそびえ立たせ続けることも至難の業である。


年齢と共に衰え、若い者が台頭し、意識はイキったままだが、確実に世間の評価は下がってくる。


そうして自分の意識と評価に乖離が生じてしまうとやはりここでもそびえ立ったプライドがポッキリと折れてしまうことになる。


ではプライドの維持とはどうすればいいのだろうか?

この自意識と世間の評価を限りなく近づけていく必要があるのだ。

 

 

では自意識と世間の評価を近づけるにはどうすればいいのか?

 

「自意識」と「世間の評価」は絶対に一致することは無いということはまずご理解いただきたい。


自意識と違い、世間の評価は極めて流動的でそれこそ一秒単位で変化するのだ。

 

世間は時代、環境によって価値観や評価基準が大きく変わっていく。


なんなら自分が一言発するだけで大きく変化する危険性を秘めている。


「居心地のいい空間に引きこもる」ことで世間も仮設し、プライドの仮設を安定化させることは可能だが、実際は問題の後回しなだけである。


プライドの確立には必ず世間を相手にせねばならず、世間をコントロールすることはほぼ不可能だ。

 

一方、自意識はある程度自分の判断で置くことが可能である。

 

すなわち、自意識と世間の評価を近づけるには、世間の評価を適切に捉え、そこに上手いこと自意識を設置する必要があるのだ。

 

 

この自意識を適切に設置する方法として構築したのが『世界ランク理論』だ。

 

さて、ここで皆さんに質問である。

「貴方は世界何位ですか?」


いきなり答えられるわけないだろう。むしろ答えれたら正直気持ちが悪い。

この質問には二つの要素が省略されている。


いつの時代の?
そして世界とは何ですか?


世界とはプライドの分母の範囲である。

 

例えばとある大会ならその参加者および視聴者が「世界」であるし、受験勉強であれば同世代の人口が「世界」となる。夫婦間なら「世界」は二人の間だけの話となってしまう。


最低自分を含めた2人、最高でこの地球上の全人類が「世界」だ。


もう一つの重要な要素は「いつの時代の?」だ

 

先に書いた通り、プライドの安定化に必要な要素は『今』の世間の評価だ。

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△みんなが目指すべきは小西か、時田か 「エアマスター」より



しかしそんな簡単に『今』の世間の評価を把握できればそもそも苦労しない。

 

世界ランクの設定を間違えてしまったから自意識の暴走を起こしてしまったのに、同じ状態で世界ランクをつけようとすると当然滅茶苦茶なものになってしまう。

 

世界ランクの設定に必要なのは確かなエビデンス(実証)である。


例えば日本における年収だったら厚生労働省が大体のデータを出してくれているだろう。


競技であれば「この大会に出た。規模はこんなもんで結果はこうだった」というのが一番分かりやすい。


また、ゲームとかだと非常に分かりやすいだろう。リアルタイムに大体の分母、自分の位置がデータとして出てくる。

 

このように大体の趣味というものにおいて、世界ランクと向き合うための、たとえ芸術であろうと自分の順位を知るための場が発生していることに気づくだろう。


人は必ず順位をつけなければならないのである。プライドを確立するために。

 

ちなみにプライドの仮設する場合はその必要は無い。何故なら自分の順位を知らずとも勝手に設立できるからである。
ここで自意識が暴走しようと何も起こらない。

 


さて、エビデンスを手に入れてプライドを確立したら問題点に気付くだろうか?

 

「手に入れたエビデンスの鮮度はいつまでか?」


これが重要であるにも関わらず分からないのである。

 

この鮮度問題に関しては分野によって大きく異なり、日進月歩で新たな進歩が起こり続けている分野もあれば完全に凝り固まってしまった分野もあるので一概には言えないが私はおおよそ『1年』が鮮度であると考えている。

 

1年はテニスのランキングポイントがリセットされる期間であり、オリンピックを除いた様々な分野の世界選手権や展示会、発表会と呼ばれるものが1年に1回開催されてることから見ても説得力があると思う。

 

新しければ新しいほどエビデンスにはふさわしく、古くても1年以内。それ以前は今の立ち位置確認のアテになりはしない。


さて、プライドの維持のための世界ランクの設定に必要な要素を抽出してきて
「昔〇〇という大会で〇位で」という文言のヤバさが分かってきたのではないかと思う。

 

既にその過去建設されてたプライドは知らず知らずの内に折れて仮設状態に移行している可能性が高い。

 

「昔話の増加」はプライド全滅の危険サインに他ならない。

 

 

このように、世界ランク理論によって乖離されすぎた自我と評価を見直し、適切な大きさのプライドの再建が可能となる。


ただし、プライドの定義である上位10%に入っている必要性があるので、見直した結果条件を満たさないとプライドは再建できないことは留意しなければならない。
(再利用については可能である。)

 


へし折れたプライドを修復しつつ、新しいプライドを安定させ、自我の目覚めに導くノウハウこそが世界ランク理論の本質であるのだ。

 


第4節 感性のキャリブレーション


また、世界ランク理論にはもう一つの重要な側面がある。


それは「感性」のキャリブレーション(較正)である。

 

世間において無用な波風を立てずに過ごすには、時代によって変化する世間の感覚を理解する必要がある。


最も楽な方法を言うまでもなく、何も考えずに前にならえで流されていくことなのだが、中途半端に自我が芽生えてしまうと上手く流れに乗れなくなってしまう。


いわゆる優秀にもかかわらず社会不適合者であることに悩んでいる皆様はこの現象が発生しているからであると考えている。


ちゃんとプライドを立てて、折れて、自我が芽生えたが故の悲劇である。

 

自我を保った状態で世間に紛れて生活していくには、自分の感性と世間の感性の二つを常に調整し続ける必要性があるのだ。

 

さて、どうするかといったらこれは割と簡単である。

 

「世間の答えを見てから解答を出す」のが世間に引っ張られるのであれば、
「解答を出してから世間の答えを見る」ようにすればいい。

 

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△先に答えを出しておく。案外出来ない。 「神様のバレー」より


 

また、この時の解答は二つ出す必要がある。


『自分の答え』と『世間が出すであろう答え』である。

 

そして最も大事なのは「世間が出すであろう答えが違っていた場合、何故世間は違う答えになったか」という理由を徹底的に追及することである。


この時自分の答えを変える必要性は必ずしも無い。

 

重要なのは「今の世間の流れを"大体"把握すること」なのだから。

 

私は日常的な予想の他に、1年に1回出る色んなランキングを定期的に予想することを目のキャリブレーションとして用いている。


ジャンルが広すぎると答え合わせは困難であるが、ある程度ジャンルを絞れば世間の"一般的な感性"を確認することが可能だ。

 

また、自分の興味の無い分野でも流行が発生しているのあれば自分なりの理由付けをしていくと迎合が簡単になるのでオススメのテクニックである。

 

 

◆リンク

第1章 プライド分散理論へ

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011050

 

第3章 シャブセックス理論へ

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011125