「今の世の中、話題にしちゃいけないのは野球・宗教・政治・バーチャルYoutuberですよ」
先日某氏の配信をいつものように見ていたらそんなワードが飛び出した。
「まぁ拡大解釈すると宗教と宗教と宗教と宗教なので」と一瞬頭を過ったが、そんなマウント厄介オタクの理屈だとこの世のあらゆる事象が宗教になるので一旦切り分ける。
この言葉を聞いた時にとある放送をすぐに連想した。
先日のDeep Web Underground(DWU)ちゃんの生放送である。
既に消されてしまってアーカイブが残ってないが、魚拓みたいなものはWeb上にチラホラある。
まぁ超ザックリの概要はこうだ。
DWUの中の人が怠惰な運営さんにウンザリ
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愚痴放送やらなんやらあり、ついに問題の生放送へ
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運営が事の経緯を説明
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DWUの中の人がキレ散らかす
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運営の人がブラックユーモアを交えながらDWUと視聴者に問題提起する。
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DWUの中の人が更にブチギレる
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ま、もう面倒くさいので権利等は全部あげますので頑張ってくださいと終わる
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DWUの中の人が独立する
ちなみにDWUの中の人が切れ散らかしてた内容は「ちゃんとメールを返さない」とか「平気で遅刻してくる」とかそういう内容で「まぁそら怒られも発生しますわな」という話である。
それに対して運営側が「遊びでやってることなので…」と返すとDWUの中の人がこう言ったのだ。
「遊びみたいなことをちゃんと仕事にするからVTuber業界成り立ってんだろうが!」
動画中は終始溢れんばかりの運営側への中傷コメントとDWUの擁護コメントが流れ、
クソ運営乙!DWUちゃん良かったね!めでたしめでたしと番組は終わったわけだが…
はい
ものすご~~~~~~~~~~~~~い違和感を覚えましたね
待て待てと
ご存じ無い方には説明するのが死ぬほど面倒くさいので省略しますが、DWU誕生の歴史的にそもそもの所で純度100%に遊びで始まってたのでは?
△元々こんな感じで始まってる
運営側は終始一貫して自分たちが面白いと思うことをセッティング・実現してゲラゲラ笑ってただけなのでは…?
それを捻じ曲げて「仕事」にしたのは一体誰だ…?
問題の生放送もめちゃくちゃ面白かったのだ
部屋でゲラゲラ笑い転げてしまった程に
動画自体が「昔のインターネット」として完成した作品だったと思うのだが、横のコメント欄がもう「現代のインターネット」そのままで、まさに画面の左半分と右半分に僕の知るインターネットの20年が同居してて美しさすら感じてしまった。
最後に一つの作品を作ってあげて、同時に全ての権利をスッパリ放棄する。
それが自分の遊びで少なくとも迷惑を被ってしまった(らしい)DWUの中の人への手向けとなる。
(正直迷惑賃込みにしてもDWUの中の人の収支はどう考えてもプラスだと思うけれども…)
「なんて優しい運営なんだ」と正直感動した。
しかし放送が終わった後しばらく調べてみましたが、誰もその優しさに触れていない。
嫌な時代になったもんだと思ったものだ。
〇バーチャルYoutuber大分類
さて、以上のようなDWUちゃんの名言から分かる通り、大体バーチャルYoutuberは大別できる。
①クリエイタータイプ
②アイドルタイプ
①のクリエイタータイプはいわゆる技術勢であり個人勢が多い。
かわいい外見も大体が自ら調達しており、自分の好きなコンテンツを創り出し語っている。
僕がよく見てる中で該当するのは…
ナナホシすず
男鹿ちゃん
等だろうか。
めちゃくちゃマイナーだと思うけれども、プロモーションしたいことをカタチにする方法として上手く活用されてると思う。
最近更新はしてないけどシテイルチャンネルも好き。
このチャンネルは動画を通して会社のプロモーションを行うためのものである。
その他絵描き系のVtuberは自らの作品をプロモーションする手段として主に用いられているわけだ。
非常に分かりやすい構図である。
さて、では②のアイドルタイプは一体どういったものか?
代表格として
とかだろう。
自らを一人のキャラクターとしてプロモーションしていくことで自らにコンテンツとしての価値を付与していく形である。
構図自体が実際のアイドルとほぼ同一だし、裏方は複数の人で回さないと難しいと思うので多くは事務所に属している。
昨今よく語られるにじさんじやホロライブ系もこっちのアイドルタイプに入るかと思う。
電脳少女シロはこのアイドルタイプとして生み出されたにも関わらず、クリエイタータイプとしての気質も持ち合わせていたのでちょっと独自路線を進んだのかもしれない。
各事務所のアイドルタイプもハイブリッドタイプの気質の人がチラホラいたりする。
個人でやってる名取さなはハイブリッドタイプの代表格じゃないだろうか。
あそこまで自分をプロデュースしてコンテンツも創れる人はとてつもないと思う。
さて、問題のDWUちゃんはどっちにいたのか?
当初は間違いなく①のクリエイタータイプとして生まれたはずだ。
それが②になりたい人がいて、勘違いが生じてしまった…悲しいお話である。
いや、そもそもDWUちゃんの中の人はDWUちゃんをプロモーションしたかったのか?
もしかしてDWUの中の人という自分をプロモーションしたかったんじゃないのか?
と、ここまで考えて
ん、待てよ…?もう一種類いるぞ…?となってきた。
整理してみよう
①クリエイタータイプ
対象物(物・会社等)をプロモーションする。
②アイドルタイプ
被ってるガワ自体をプロモーションする。
となると1箇所だけ対象外がいる。
そう、「自分自身をプロモーションしたい人」はこの2タイプには入ってこないのだ。
そうすると第3のカテゴリが出てくる。
③異世界転生タイプ
中に入ってる自分自身をプロモーションする。
今回語りたい本題がやっと出てきた。
Vtuberの皮を使って自分自身をプロモーションするのは危険を孕んでいるといった話だ。
〇バーチャルとリアルを切り離すことは可能か
そもそもバーチャルは実物になり得るか?という言説は既に説いてきた。
概要をザックリ書くと「バーチャルは現実と地続きの領域なので普通に新しい人格を形成するのは不可能である。可能性があるとすれば過去の自分を全て捨てて一人のアイドルを演じるしかない。」という話だ。
これは先程例にあげた②のアイドルタイプのプロモーションと同義である。
図にするとこんな感じ
アイドルとしての存在を創り出すことは誰でも出来るはずだけど、そこに自我を求めると基本的にエラーを起こす。
何故エラーを起こすかというと「そもそも面白くない奴は新しい自分を普通に作っても根本的に面白くない」からある。
現在は物珍しさからチヤホヤされるが、変わったのは容姿だけであり、本質的には何も変わっちゃいない。
結局は「自分自身として活動していく中で容姿を気にして発信しないでいいから有利だし楽」という使い方が異世界転生タイプの正しい使い方だ。
一方、自分と違うキャラクターを作り出したのにも関わらず、自分を評価としてほしいという場合は話が変わってくる。
この場合異世界転生タイプというよりは「オタサーの姫タイプ」だ。
〇オタサーの姫タイプとメンヘラの仕組み
オタサーの姫タイプは現実世界で承認欲求に欠乏していることが動機となって始めており、ある程度の承認で満たされるのであればそれは大した問題ではない。
問題は既に『メンヘラ』と呼ばれるような常に承認欲求が欠乏しているような状態だと大変危険だということにある。
『メンヘラ』という言葉は一時期はネットミーム的によく使われたが、昨今は若干使用頻度が減ってきたように感じるので軽く説明しとくと
「2chのメンタルヘルス板にいそうな人間」の総称で男女問わず心の病気を抱えてる方を指したネットスラングである。
男女問わずメンヘラさんとお付き合いしたことある人は皆口を揃えて「メンヘラはやめとけ」と言うが皆さんは何故かご存じだろうか?
皆一様にこう思って踏み込んだはずである
「僕なら(私なら)この人の支えになることが出来るだろう。メンヘラを克服させてあげることが出来るだろう。」
しかしダメだった。
なんなら取り込まれてしまって自らの精神も病んでしまった。
その結果、全員の結論は「メンヘラはやめとけ」になってしまったのだ。
この辺はメンヘラのエネルギーみたいなものを社会的価値に変えようと奮闘していた小山さんがもの凄い嘆いていた文章にもありありと顕れている。
元々自分はボランティアで不登校児の教育支援を3年くらいやってて慈善モデルの限界を感じ、じゃあビジネスなら持続可能性あるんちゃうかと思ってメp始めたんですが、メンヘラをWEB経由でマネタイズする道は風俗と整形と偽医療くらいしかないことに気づき、1000万くらいの赤字を出して今に至ります。
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) 2020年5月15日
昨年にキャッシュアウトして、そこからマジで生活困窮者やりながらメp運営し続けて、流石に、僕も疲れました。キャパを超えました。自分を大切にしないと死んでしまうなとなってしまいました。今日の記事はそういう話です。
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) 2020年5月15日
生活困窮者やりながら、悪化した身体疾患の発作に苦しめられながら、なんとか起き上がれる僅かな時間にメpの編集してたら、おれの記事はまだかさっさとやれとメンヘラの方に激詰められたあたりで心が折れました。もう無理です。無理。無理です。おれは機械でも仏でもないんだよ。
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) 2020年5月15日
本当に悲しいことですけど、僕が困窮したときに助けてくれた友人はみんなまともに働いてる社会人の方でした。メンヘラの方はゼロでした。そもそも自分が困窮してることにすら気付いてもらえませんでした。互助の可能性の限界みたいなものを感じてしまいました。本当につらい。
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) 2020年5月15日
だからと言って自己責任論みたいなものに走りたくはないです。困窮者が困窮者の面倒見れないのは自分も困窮してるからですから。ただ、ひたすら受容するだケアのあり方には少し疑問を抱くようになりました。ホモソ的なシバキ上げと搾取の関係がないと、弱者救済のインセンティブは成立しない。
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) 2020年5月15日
しばらくは、昼は肉体労働やって、夜は売文業やって、自分の回復に専念します。メpをどうするかはゆっくり考えさせてください。僕は疲れました。本当に疲れました。しばらくは休みます。
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) 2020年5月15日
ただ承認欲求が欠乏している状況であれば繋がりを増やすことで応急処置をすることができる。
また、その繋がりの数を増やしていくことで安定した精神を取り戻すことが出来る。
この辺の言説はプライド分散理論という記事で語った通りである。
問題は承認欲求が注がれる自らの器に問題が生じている状態だ。
よく「メンヘラの承認の器は底に穴が開いているので注いだとこから漏れていく」という言説を見る。
女性の場合の多くは多分この「穴が開いている」が正しい。
これもよく言われる「女性の恋愛は上書き保存で、男性は名前をつけて保存」という言説で理解するのが簡単かと思われる。
ここでの「穴」とは「上書き保存」すなわち「忘却」である。
一方男性メンヘラの場合はどうかというと、観測上では穴が開いているタイプもいるが多くは「自分の器の大きさを勘違いしているタイプ」である。
承認欲求が器に注がれても微々たるものであるし、すぐに乾く。
上昇志向が強いタイプに多い傾向となる。
〇幸せポイント理論とメンヘラブラックホール
さて、そんなメンヘラ型オタサーの姫系Vtuberの何が問題なのか?
以前シャブセックス理論という言説でも書いたが、人類の共通の目標は気持ちよくなることである。
しかし人それぞれに気持ち良さを感じる度合い等違ってあたり前なので、私は個人毎に「幸せポイント」を設定することを推奨している。
幸せポイントは「気持ちよさ」の個々人による大きさを数値化した概念である。
ちなみに私の幸せポイント基準は「朝起きて窓から外を見たらいい天気だった」が1幸せポイントだ。
香川の88氏と以前「何故我々は公園の夜桜に癒されるか」を議論した時に生まれた概念である。
幸せポイントの基準設定は「自然が与えてくれるもの」の方がいい。
物や成果から得る幸せポイントは状況によって著しく変化するからだ。
逆に一様に奪っていくものも大体自然現象だったりする。
地震とか台風とかそういったものが原因となる。
低労力で幸せポイントが大きいものはいいものだし、重労力で幸せポイントが少ないものは悪いものである。
人のモチベーションや動機なんかはそれぞれだと思うが、「ふとやろうと思った人助け」なんかはこの幸せポイントが関連していることが多い。
例えば足が悪い人が階段を登ろうとしている時に荷物を持ってあげること。
おばあちゃんには重い労力だが、若者には非常に軽い労力である。
代行してもらうことで若者は感謝され気分がいいし、おばあちゃんは労力が省かれて嬉しい。
非常に軽い労力で総幸せポイントが上がってる状態となる。
また、消費される労力に対して賃金を設定することで仕事は遂行される。
サービスによって消費者が幸せになり、対価をもらって販売者も幸せになる構図である。
どこかで必ず割を食ってる人はいるのは間違いないのだが、理念としてはなんだかんだで人類は基本的には全体の幸せポイント量を増やそうとする方向で動いている。
その中で異質な存在がメンヘラである。
ポッカリ空いた穴に注がれる労力は悉く忘却され無かったことになり、総幸せポイントを減らし続けるいわばブラックホールである。
人はその穴が塞ぐことで総幸せポイントが増えることを信じて労力を捧げるが、総幸せポイントは減らされ続けるわけなのでいつしか与える側も病んでいく。
よく耳にする「悩み相談を親身に聞いていた人が飲み込まれて病んでしまう」という問題も同質である。
その結果生まれる言説が「メンヘラはやめとけ」である。
触れる時点で間違っている。メンヘラはいわば自然災害と性質が酷似しているわけだ。
〇バーチャルYoutuberが災害を引き起こす日
そんなメンヘラ達はこれまでどうやって生きのびて来たか?
誰かから幸せポイントを吸い上げて生き延びてきているだろうが、大々的にはしなかっただろう。
大々的にしてしまったら社会から迫害の対象となり、吊るしあげられてしまうからだ。
社会のつまはじき者達やプライドが高く口外しないものを選んで幸せポイントを吸い上げてきた。
だからこその「オタサーの姫」にはメンヘラが多く、昔のインターネットで長く語られてきた概念なのである。
それが今回のDWUちゃんの事件はどうだ?
コメント欄はユーザーは全員「現代のインターネット利用者」、すなわち世間でありDWUちゃんは紛れもない世間に現れた現代のオタサーの姫である。
これで彼女がもしも承認欲求の器がぶっ壊れたメンヘラだったら…?
想像に難しくない。
これまで見たことない規模に膨らんだブラックホール、次に起こるのは確実に大規模災害である。
〇パーフェクトメンヘラストームは発生するのか?
昨今急速に人権やらなんやらの議論が進んできた気がする。
その原因の一端には間違いなくスマホの普及による現代のインターネットの一般化がある。
議論自体は何も悪い事ではない。
むしろ積極的に進めるべきことである。
しかし、議論ではなく一方的に権利を要求する構図は…間違いなくメンヘラのそれと酷似している。
メンヘラは一人では力が無いだろう。
ただ、現代のインターネットにより複数のメンヘラが集まることで台風を引き起こすことが可能になってしまった。
今後バーチャルという皮の力を得た時…
もしかしたらパーフェクトメンヘラストームが世界を飲み込んでしまうのかもしれない。