「VRデビュー」の危うさを問う。君はアイドルになる覚悟はあるか?

あいも変わらず色んな所に顔を出してブツブツ考え事をしているのでその結果を書いていく。

今回は割とネガティブなことを書いてるので不快感を感じる方がいるかもしれません。

特定の誰かのことを言っているのではなく、ただの僕の中での考え事のアウトプットです。

 

≪目次≫
①人格形成と「表」と「裏」
高校デビューは本当に人を変えうるのか?
バーチャルリアリティーは虚構か?はたまたもう一つの現実か?
VRデビューは希望をもたらすか?
⑤君は「アイドル」になる覚悟はあるか?

 

 

①人格形成と「表」と「裏」

 

日常生活において皆さんは表の自分と裏の自分について意識をしたことがあるだろうか。

 

中には裏表の無い人もいるかもしれないが、大体の人が裏の自分を持っているだろう。

こう書くとSNS上の裏アカウント的な想像をするかもしれないが、そうではない。

 

一見友好そうに接していて裏では陰口を言う。


そういった日常当たり前のように行われている行為は「裏の自分」によるものである。

 


「裏の自分」は「不本意ながら意にそぐわない行為をすること」や「真なる目的のために嘘をつくこと」で発生する。


また、いわゆる「表裏の無い人」は好きなものを好きと言い、嫌いなものを嫌いと言い、目的が明確であり、自分が自分の意と行動に常に一貫性が取れている人のことである。

そう言われると現代社会で裏表が無い人は、まぁ、いないのではないか。

 

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いつも大体こんな感じなので表裏は比較的無い方に思う。「hなhとA子の呪い」より

 


読んでくれてる貴方も表と裏を持つ人だろう。

だが、実際これは全くもって問題が無い。

 

表裏一体と言葉もあるが、裏は表が無くては存在できず、表もしかりである。
自己はこういった表裏を抱えることで形を保っている。

 

表と裏は必ず50:50ではなく、30:70だったり、またその逆だったり

表裏が無い人は、表ないし裏の配分が限りなく100に近かったりするのだろう。

 

とにもかくにも人はこの表と裏を上手に抱えて生きている。

 

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②「高校デビュー」は本当に人を変えうるのか? 

 

さぁ問題はここからだ

 

この表と裏の人格形成は産まれた時から継続的に行われている。

性格、というより衝動性に関する遺伝というのがかなり色濃く存在すると考えているが、最も影響するのは結局は生育環境であろう。

 

生物である以上、当然痛みは苦しみは避けたい。
その避け方を痛い目を見て反復して学習していくことで人格が形成されていく。

 

表で取り繕い、裏で帳尻を合わせる。どうしようもない箇所は見えない所に捨てに行く。
かつて王様の耳はロバの耳と井戸に叫んだ少年は、今はSNSで鍵アカウントを作って叫んでいることだろう。


そんな積もり積もったその人の生き方自体が「人格」であると私は考える。

 

突然人は変わらない。
変わる時というのはその人の生き方が根底から崩れた時だけである。

 

変わらざるを得ない瞬間、というのは存在する。
大抵の場合は病気である。

 

人はみんな生きてる限りは死亡率が100%なわけではあるが、明日自分が死ぬわけが無いと信じて疑わない。

明日、自分が死ぬかもしれない。そんな確信が人格を揺るがせるのである。

 

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現実を確信し、それを受け止めるときに人は変わる。「ひゃくえむ」より

 

しかし、世の中にはこの簡単には変わらない生き方自体を自発的に「変えよう」とするための言葉が存在する。


高校デビューである。


別に高校じゃなくて構わない。大学でも中学でも社会人でもいい。
「〇〇デビュー」は自分の事を誰も知らない土地で新たな自分を突然発生させる行為である。

 

節目に思い切った行動を取ってみたりするのは本人の自由であるのだが、私はこの「〇〇デビュー」をしようとした経緯にこそ大きな問題を孕んでいると考えている。

 

それは「〇〇デビュー」に付随する条件である。

 

『自分のことを知っている人がいる場所ではできない』

 

これが極めて致命的な問題である。

 


例えば「容姿を大胆に変えるだけ」であれば何の問題も無い。

それは「〇〇デビュー」というよりイメージチェンジの領域であり、外見の変化のみでは内面を変化させるわけではない。

 

もちろん外見を変化させることで、新しい出会いや発見があることで内面に変化をもたらすことになると思うが、それはこれまで積み重ねてきたものの結果であるので何の問題も無い。


自分のことを知っている人がいない場所での「〇〇デビュー」
これはいわば『人格のリセット』に他ならない。

 


これまで十数年間積み重ねてきた自身の人格の放棄と再構築。


人格の形成の仕方がある程度本能的に理解できている「強くてニューゲーム状態」とはいえ、そんなに上手くいくものだろうか?

 

私個人の意見としてではあるが、とてもじゃないがオススメできるものではない。

 

人格を「箱」に例えると、新品の箱はペラペラで重みが一切無い。


積んでいるべき経験が一切無いのである。簡単に吹き飛んでいくので、経験の代わりに「嘘」の重石を敷き詰める。

 

恐らく上手くいくケースは、嘘の重石で保っている間に必死で経験を詰め込み、人格に自分が追い付いた状態である。

 


しかしよく考えてほしい。


そもそも新たな人格を用意し、嘘を敷き詰める必要があったのか?

元の人格に次々と経験を取り入れ大きな人格を形成すればいいだけだったのではないか?


お察しの通り、まずまずこうは上手くいかない。
大部分の人はペラペラのまま自身の信用を切り売りし、追い詰められていくのである。
(詳しくはプライド分散理論を参照)

mekasue.hatenablog.com

 

 

 

バーチャルリアリティーは虚構か?はたまたもう一つの現実か?

 

さて、私が何故この話を今更語ろうとしたかというと、タイトルにもある通りVRによるチャットツールを扱う上で将来起こりうる危うさを目にしたからに他ならない。

 

VRChatをガッツリやってみて理解出来てきたのだが、もの凄く不思議な現象に遭遇しているのだ。

 

FacebookInstagram等の台頭により実名による表の人格とリンクしたインターネットの活用がかなり進んでいるものの、インターネットの本質は裏の自分の発散場所である。


表でおおっぴらにできない趣味や嗜好を追い求め、時に毒を吐き特に弱味を見せる。

 

これらはインターネットがある程度確保してくれている匿名性がもたらしてくれる恵みであり、全て人格の「裏」の部分の維持に一役買っている。

 


多分この「インターネットが人格の裏の部分の維持をしてくれてる」っていう感覚は多くの人にご納得いただけるのではないかと思うのだが、ではVRはどこを担っているのかと聞かれるとどうだろうか。


結論から言うとVRは主に「表」を担っていた。


インターネット上のコンテンツであるにもかかわらずである。

 

何故か?

 

バーチャルリアリティー」の名の通り、VR上で行われているのは、ただの外見を変えただけのリアルと相違無い交流会である。


すなわち、先に語ったただのイメチェンに他ならない。

 

私も以前「陽キャが自撮りをす理由が分かった記事」を書いたが、外見が変わったので、気持ちが理解できたのだ。

mekasue.hatenablog.com


ただそれだけである。


一方、外観がかわいく統一されているだけに、外観以外の人間臭さはもの凄く色濃く反映される。


特に喋り方、態度、話題、思想。


何なら「常に面接しているようだ」とすら思える。

 

面接が「スーツに統一して、極力外見上の個性を消した上で人間性を判断しようとしている」のであれば、VRChatは外見をかわいく統一して同じことをしている感覚に襲われているのだ。

 

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恐ろしい程に「喋り方」に人格は顕れる。「少女ファイト」より

 

④「VRデビュー」は希望をもたらすか?

 

さて、ここで問題になってくるのがタイトルにもある「VRデビュー」である。


現状VR上には二種類の人間がいる。


「特定できる人間」と「特定できない人間」である。

 

特定というのは本人特定出来るかではなく、元来その人が持っているであろう表とも裏とも一切リンクが取れるかということである。

 

例えば、AさんはBさんとリアルで知り合いだとしよう。
そうすれば、AさんもBさんも表(ないし裏)でリンクが取れている。

 

例えばCさんのTwitterアカウントが長年使われてきたものだとしよう。
そうすればCさんも裏(ないし表)でリンクが取れている。

 

つまり、現実およびインターネットでこれまで使ってきた表ないし裏の人格と、VR上で使っている人格が明確にリンクしているため、人格に一貫性があり、乖離が起きていないのだ。

 


では特定出来ないの人間は何者なのか?

 

私は「VRデビューをした人間」だと考えている。

 


VR空間に新たな表の人格を作り、SNSで裏の人格を補完する。
これはリアルやネットとはリンクしない完全なる第2人格の構築である。

 

しかし、VR空間は先にも書いた通り「表の空間」である。
裏垢を作成し、裏だけで完結する活動をするのとは訳が違う。

 

発生した第2人格は「表」の人格なので第1人格の「表」と同時に存在することになる。
ただ、表の人格が二つ共存することは非常に難しい。

 

先に書いた大学デビューのように遅かれ早かれ人格の破綻が訪れるであろう。
新天地でも「空っぽの箱」である以上は新たな人格を確立し得ない。

 

VR」がまだ「もう一つの現実」であるが故にである。 

 


ただ、一つだけ道があるとすれば

新たな人格を別に確立出来る方法があるとすれば


それはアイドルになることである。


誰かの理想であり、誰にも干渉されない非現実的な存在。


現実において新たな人格の形成が出来ないのであれば、非現実に新たな人格を形成すれば良いのだ。

 

当然アイドルの場合でも新たな人格を確立しなければならないため、血反吐を吐く努力は必須なのであるが…

 

人格を維持するならばアイドルであり続けなければならない。
それは「人間臭さを見せるな」ということではない。

 

皆を夢中にさせ続けれるような存在にならなければならないということである。

 

と考えてたら私の中で一つ答えが出てしまったのだ。

 

 

「これってVtuberだ」

 

 

⑤君は「アイドル」になる覚悟はあるか?


多分これから先ARやVRといった技術はより日常に同化し、当たり前になっていくだろう。
それでもこれだけは覚えておいてほしい。

 

現実がある故にバーチャルがあるのだ。

 

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現実を認識した先に現実から逃げる答えがある。「ひゃくえむ」より

 

これは今のところは反転し得ない。多分肉体が滅んで魂をバーチャルに持っていけない限りは。


すなわちどんだけ技術が進もうがリアル:バーチャルの比率は50:50で今のところは打ち止めである。

 

現状安易にバーチャル空間に新たな人格を形成するのは危険が伴うと考えざるを得ないのだ。


それでも進むというのなら私は止めたりしない。

君がみんなのアイドルとなるのなら、それが多分一つの答えだからだ。