趣味に人生を捧げてきた者達の『セカンドキャリア』をどう考えるべきか ~ゲーマーと適職診断理論について~

EVO2019お疲れ様でした。BBTAG4位とか凄い上出来でしたね
色々書くべきことはあるのでしょうが、まずこれかなと思いながら書いてます。
結果報告は恥ずかしいので後でちょろっとだけ書きましょう。

 

〇良い趣味と悪い趣味の差


「ゲームをするとバカになる」という言説はまだまだ根深い。

 

いや、そもそもここで言う「バカ」って何だ?


多分一般教養を勉強し続けてきても『勉強バカ』という認定を受けるし、どんなスポーツをしても『スポーツバカ』まっしぐらだろう。


「その後に繋がらない」「スキルがつかない」ということをまとめて「バカ」という言葉に集約しているという解釈で間違ってはいないのではないか。

 

まず「その後」とは「生活が出来るか」
つまるところ「生活できるだけの金銭を生むか」どうかであろう。

 

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才能が特化してしまった人の図 『Artiste』より

 

極論すると何かを学んでもその知識を応用して生活できなければ一律「バカ」の区分に突入していく。

 

個人的な観測範囲ではあるが、サッカーや野球、テニスやバスケといったスポーツが「良い趣味」として取り沙汰されてきたのは、健康増進という面もあるだろうが、「トップ選手が莫大な金銭を稼いでいる」というのがどうやら大きいようだ。(最初広まった理由は不明瞭だが)


「上下関係の構築や他地域との交流が出来る」とかいうのがメリットの大部分を占めるんじゃないかと推測していたのだけど、昨今のeスポーツ関連報道で情報番組で取り上げられるのはただただ賞金額だけであるし、実際「ゲームで稼げる時代が来たんだなぁ」と大体を納得してしまっている人が大半であった。


こうして「その後に繋がる可能性がある」という後ろ盾を得たら、残るは「スキルがつかない」問題である。

 

これに関しては「セカンドキャリア問題」という議題で正直どんな高尚とされる趣味でも議論されてるであろう問題なので「趣味なんてそんなもんやろ」で済みそうな問題であるが、今回はここを真面目に考察していこうと思…っていたのだが既にほぼ答えを出してくれてる人々がいる。

最近DeToNator Gamingのこへうさんがいい感じの記事を書いてくれてるので参考になるだろう。

 

https://koheu.com/khu-howtobeachampion#toc29

 

2017年のEVOでときどさんが衝撃的な優勝を果たし、「東大卒プロゲーマー」という単語が一気に拡散されたのも記憶に新しいが、このこへうさんも「東大卒プロゲーマー」の一人である。

 

詳細はリンク先をじっくり読んで欲しいが、概要を書くと「『ゲームのルールを紐解いて、攻略法を探し、分析・最適化し、練習して技能を取得し、それを実戦で成し遂げる』という一連のサイクルは結局どんな物事にも適用出来るし、そのサイクルを自分がこれから挑戦する物事に適用できるようになるのが重要」なのである。

 

はい、答えが出ました!!!素晴らしい!!!

 

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他に無い才能があるってことは、ヘンってことだ。 『へんなものみっけ!』より


となるのだが、これは理論上は合ってるんだけど、実理論としては間違ってるなぁと私は推測している。

"努力の方向を間違えてる可能性"を全く考慮に入れてないのだ。

 

〇ゲーマーにおける適職診断理論


私はゲーマーの特性を大きく4種類に分けて考えている。

 

①開発型

②生産技術型

③生産型

④営業型


この特性で明確にプレイヤーを分類するわけではなく、各型は以下のような特性パラメーターである。

 

開発型…ゲームのルールを理解する能力が高く、基本的な戦略を構築したり新たな戦術を開拓することに長ける。

 

生産技術型…構築された理論を応用する能力が高く、複雑な戦略をより簡素にしたり、効率的な戦略を構築することに長ける。

 

生産型…戦略を正確に、あるいは素早く遂行する能力が高く、判断速度に優れている。

 

営業型…実戦における駆け引きが上手く、ゲームメイク能力に優れている(メンタル面を含む)。

 

この他に隠しパラメーターとしてコミュニケーション能力(主にコミュ障力)が存在していると考えているが、これは一旦置いておく(後述します)

 

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念能力みたいなものですね。

 


何が言いたいかというと、先に書いた


「『ゲームのルールを紐解いて攻略法を探し、分析・最適化し、練習して技能を取得し、それを実戦で成し遂げる』という一連のサイクル」がこの4特性の全部盛りなのであるが、これを一人で全て回せる人は確かにいいのだろうが、この4つの工程に関しては明確に得手不得手が存在している。

 

私が言う「努力の方向性を間違える」とは「自分の得意なフィールドで対戦することが出来てない」ということである。


例えばカードゲームであるとこのパラメーターがどのように影響するか

 

環境構築⇒開発
デッキ最適化⇒生産技術
プレイング⇒営業

 

となり、生産特性はほぼ生かせず、最も"強さ"として現れるのは営業特性である。

 

素晴らしいデッキを構築する人は大体同じ人なのであろうが、勝ってるのはその人とは限らない。

むしろ大会とかで上位入賞しているのを見たこと無かったりするのではないだろうか?

そういう人は単純に開発特性が高いが、営業特性は並程度なのである。

 

あるいはデッキを環境毎に微妙に調整して、圧倒的な勝率を誇っている人はいないだろうか?

そういう人は開発特性は並程度であるが、営業特性が高く、生産技術特性もかなり高い水準を持っているに違いない。


ならば私が主戦場にしている格闘ゲームはどのように影響しているかというと

 

各キャラの基本戦術および連係構築⇒開発
戦術および連携の最適化⇒生産技術
プレイング⇒生産
駆け引き⇒営業

 

となり、生産特性が最も実績として現れると考えている。

ただ、これらは「攻略がある程度煮詰まった状態で戦った場合の話」である。

 

私は新たな格闘ゲームが発売され、それが複雑なシステムに支配されているゲームであれば大体以下のような推移でゲーマーの強さが変わると推測している。

 

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格闘ゲームにおける適性の優位性について(参考図です)

 

より複雑なゲームであればあるほど推移するために要する期間は伸び、より自由度が少ないゲームであれば短い期間で推移する。


途中でアップデートが入ると内容によっては一旦リセットがかかるものの、攻略へのアプローチは変わっていないのでこ

の環境構築がより速やかに行われるだけとなる。

 

昨今の格ゲーの環境開発速度を考慮すると開発特性が強力に作用する期間は約1週間~1ヵ月、生産技術特性が強力に作用する期間が2ヵ月~半年といったところであろうか。


その後は生産特性に優れた者が圧倒的優位となり、環境がガチガチに固まっていく。

 

私はこれを陸上競技によく例える。


1週間以内のゲームを100M、1ヵ月以内のゲームを400Mの短距離走
2ヵ月~半年までのゲームを800~2000Mまでの中距離走
以降は長距離走、あるいはマラソン、時にはトライアスロンやアイアンマンレースとも言う。
またより複雑なゲームになると、ハードル走、障害物競争とまで様々である。

 

このように各パラメータによりゲームの強さが変異することから、私は発売されたゲームがいつ大会が開かれるかによってその大会を分類している。


例えば今年のEVO2019で行われた各ゲームの場合以下のように当てはまると推測している。

 

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EVO2019におけるゲームと適性

 

では私自身のパラメータはどうかというと、生産技術特性が最も高く、開発特性はそこそこ。生産特性まぁまぁ、営業特性は並といったところである。


すなわち…今年のEVOのBBTAGでは「自分の適性距離で勝負が出来た」ということになる。


"eスポーツ"としてゲームが扱われる時、絶対に言及されるのが
「ルールが毎年のように変わるものがスポーツとして成立しているのか」という言説である。

 

そもそも「eスポーツとは何ぞや」というところに言及しだすと全てが分からなくなるので、とりあえずその辺はサラっと流して「ルールが毎年変わる競技が是か非か」と言われれば私は是じゃないかなぁと考えている。


確かにその競技を頭の先から爪の先から足の先まで極めてぶつかり合う美しさはあるが、対して予想だにしないとんでも戦略が飛び交う面白さはまた違った次元に存在する。

 

また、常々思うところがある「優れた選手が優れた指導者になるとは限らない」問題がここに詰め込まれていると考えているからである。


「指導」に必要なのは個、あるいは全体を観察し開発、生産技術、営業の観点から競技にアプローチすることであるはずが、進んできた道中に乗り越えなければならない大きな障壁がほとんどなくほぼ生産適性だけで戦ってきてしまった場合、指導に必要な能力が一切養われていないのだ。

 

競技だけでなく実社会の世界においても生産能力崇拝、あるいは営業能力崇拝される傾向にあるが、せめて趣味においては開発能力、生産技術能力にスポットライトを当てて様々な才能を発掘していくべきであり、そういう場を積極的に盛り上げていきたいし楽しみにしている。

 

どうか第一線で戦うプレイヤー達は、その技術や連携を開発し最適化してきた名もなきプレイヤー達を賞賛してあげてほしい。

 


補足:コミュニケーション能力と競技について

さて、実社会で最も大事とまで言われる「コミュニケーション能力」


人それぞれ思う「コミュニケーション能力の指標」があると思うが、大体重視されるのは「人の話をしっかり理解する能力」や「適切な返答、あるいは配慮をする能力」といったところではないだろうか。

 

逆に「コミュ障」と呼ばれる状態は一体どのようなものかというと上記能力の真逆なので「とんちんかんな事を言う」「予想出来ないタイミングで刺さる言葉を言う」で総括出来るのではないか。


このコミュニケーション能力、一見競技においては高ければ高いほど営業特性の一つとして優位に働きそうであるものの、実はそうではない。


逆に「コミュ障」を敵に回すととんでもないことになるのである。

 

「コミュニケーション能力が高い」というのは「相手のやりたい事への推測が上手い」だけであり、相手が一般人であればある程度有利な読み合いを仕掛けれるが、相手もコミュニケーション能力が高ければ結局のところほぼ50:50の読み合いを仕掛け合うこととなる。


一方、コミュ障は「100%予想だに出来ないタイミングでとんちんかんな返答を刺してくる」のである。


ゲーム内で会話を試みると、全てが裏目となり逆に刺し殺されることになるのだ。

 

幸いなのがコミュ障はその特性を知ってか知らずかじゃんけんをするのが鬼のように強いキャラ(近接さえすれば強いキャラ)を使用する傾向があるため、対策として読み合いを発生させず封殺するといった行動が取れるが…

 

私は様々な投げキャラに対する"ヘイト"の理由はここに潜んでいるのではないだろうかと推測している(投げキャラだけの話では決してないのだが)。

VRを通して分かった「現代人が『自撮り』をする理由」について

Oculus lift Sを買って1ヵ月が経ったのでこの記事を書いている。

 

☆Oculus 公式ホームページ

https://www.oculus.com/rift-s/?locale=ja_JP

 

現時点でどの程度までVR界隈が進んでいるか、技術の確認目的ぐらいで購入したのだが、予想以上の代物で非常に驚いている。

 

基本的に熱心(?)な格闘ゲーマーであるが、PSVRでFarpointや勇なまVR他色々遊んでおり、「VRゲー」というジャンルで言えば凄いは凄いけどまだまだそこそこといった感想を持っていたが、VRChatの奥深さは予想を遥かに超えていた。

 

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ムスメちゃん、マジ可愛かったです

 

「この概念は確実に次世代のスタンダードになっていく」とビンビンに感じたので何故凄いと感じたのかを書いていく。

 

≪目次≫
はじめに
①「自撮りをする」ということ。「カワイイ」ということ。
VRで全人類が「かわいく」なり、「自撮り」に目覚める。
③「カワイイ」とVRの親和性について
VRの可能性とソーシャルゲームの行く末

 


①「自撮りをする」ということ。「カワイイ」ということ。

 

さて、皆さんのご家庭にパソコンが普及したのがWindows95が発売された頃ではあるが、インターネットが本格的に普及し始めたのはISDN回線からADSL回線に移行し始めた1999年ぐらいからだろうか。

 

それから20年経ち、当時オタクの象徴みたいなPCはスマートフォンとなり完全に日常生活に同化した。


同化した大きな要因となったのは、その本質的な便利さがあるだろうが、SNSの関係は切っても切り離せないだろう。

 

多種多様なSNSも今や棲み分けがほぼ完了してしまっているが、本質的には同じようなものと認識している。


みんながみんな「自分」について発信する自己顕示の場となっている。

 

TikTok等の台頭により若者のメインは画像から動画に切り替わっているものの、この画像(動画)を投稿する文化の成熟中大きな異物が発生し拡大し続けている。

 


『自撮り』である。

 

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自撮りをする人


カメラ自体は古くからあった。


風景・食・動物といったものを被写体にした「美しい」「かわいい(かっこいい)」「すごい」写真は様々な媒体で使用されていたが、人物についてはどうだっただろうか?

 

人物写真にも求められたのもいつも「美しさ」や「かわいさ(かっこよさ)」、「すごさ」だった。

 

モデルの写真、アイドルの写真、スポーツ選手の写真


その他の人々が写ってる写真はほぼ事件(ニュース)・歴史といったジャンルのものだった。

※コミュニティ内で完結する写真撮影を除く。


では今、SNSで投稿されている写真はどうだろうか。

 

風景・食・動物といった写真群の扱いは過去と変わっているだろうか?


私は本質は変わっていないと思っている。

 

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求められないということは、すなわち価値が無い

 

マンネリ化してしまっていることもあり、新しいものを求めて奇をてらったものが増えたと思うが、基本的に「美しい」「かわいい(かっこいい)」「すごい」が大部分をしめていると考えている。


一方人物写真では『自撮り』という文化が新しく生まれた。

 

英語で自撮りを意味するSelfie(セルフィー)という言葉は2002年に生まれたと言われている。
そんな新しく生まれた文化が2013年にはオックスフォード英語辞典による「今の言葉」に選ばれるまでになった。


ここまで爆発的に自撮りという文化が広まったのには理由があると考えている。

 

 

「加工技術」である。

 


そもそも何故人は写真をSNS上にアップするのか?

 

ザックリ言うと「見て欲しいから」であろうが、その中には「見る価値がある」「見ても気分を害さない」等の考えが基にあると推測している。

 

人は軽率にうんこの画像もアップロードしないし、虫の死骸の画像もアップロードしない。


しかし自撮りはアップロードしてしまうということは「気分を害する可能性がある」可能性はついぞ考えていないのだ。


さて、以前「プライド分散理論」という生き方の基準みたいな文章を書かせていただいたが、その中で言及している例をここであげる。

 

 

☆プライド分散理論について

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011050

 


学生の頃、貴方のクラスの中で、美人は何人いたか?


30人クラスの半分が女子として15人。そんな中にそこそこの美人はいいとこ1人か2人じゃないだろうか。


全校生徒で女子が150人いたとしたらとびきり美人は1%、いいとこ1人か2人だろう。

 

「かわいい」というプライドを確立出来るのはやはり全体の10%程度である。


すなわち、本来自撮りをすることでメリットを与えれる人物はせいぜい10%のはずである。

 

にもかかわらず自撮りが蔓延しているのは「加工技術という高ゲタで、仮想的に上位10%に捻じ込んでいる」状態を作り上げているからに他ならない。

 

 

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ザクっと書くとこんな感じ

 

この異常な規模のプライド仮設であるが、私は肯定的にとらえている。

 

以前の世界ランク理論の記事にも書いたが、自我の目覚めには自らが立てたプライドを折る必要性があるため、自己肯定感を上げる作用がありつつ、どこかで調度良く折れるプライドとして機能するのではないかと考えているからだ。

 

 

☆世界ランク理論

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011111

 

 

VRで全人類が「かわいく」なり、「自撮り」に目覚める。

 

話が変わって本題のVRである。

今回はVRChatを主に話を進める。

 

ご存じ無い人向けに説明すると、VRChatはSteam等で配信されている無料ゲームで、VR機器を被って1人のキャラクターとなり、ボイスチャットが出来るだけの目的も何も無いただのチャットツールである。

 

 ☆VRChatのPV

https://www.youtube.com/watch?time_continue=5&v=PWLPw4RE9Ig

 

シンプルなゲームであるが、何といってもその拡張性が素晴らしい。

 

自分のキャラは自分でアップロードして好きにカスタマイズ可能だし(ポリゴン数制限はあるが)、その空間(ワールド)自体も作成して好きにアップロードが可能だ(容量制限はあるが)。

 

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写真左が筆者。右側は水先案内人のよまいさん

 

広場のようなワールドもあれば、酒場のようなワールドもある。
都市を題材にしたワールドもあれば、サイバーパンクなワールドもある。
みんなでゲームするためのワールドなんかもある。

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仮想DJブースでひたすら踊り狂うワールドもある


目的も自由に決めれる。


筆者は最近筋トレ用のワールドに頻繁に出入りしている。


まさかVRを健康目的に使用するとは思わなかったが、これが非常に相性がいい。


わずか1か月で明らかにお腹周りの肉が減り、会社では「mekasueさん、上半身デカくなってません?筋トレしてますね?」と声をかけられるまでに至っている。

 


さて、VRChat用のキャラクター(アバター)はワールド内で公開されているものも多いが、個人のクリエイターさんがBooth等で販売したりしている。


私の使用しているモデルも藍夜野雑貨店さんが販売しているモデルだ。

 

☆藍夜野雑貨店Booth支部

https://aiyonozakka.booth.pm/

 

こういった販売サイトをザっと見てもらうとお分かりいただけると思うが、基本的にどのモデルもかわいい。


「どうです?僕が作ったモデル、かわいいでしょう?」という目的で販売しているのだから当然っちゃ当然であるが、大体かわいい。

 

そんな溢れる「かわいい」の中から、みんな思い思いの「かわいい」アバターを纏って集まってくるもんだから当然みんな「かわいい」のである。

 

そんな「かわいい」を全員が身に纏うと何が起きるのか?

 

 

さて、ここで皆さんに質問です。

 

愛想のいいワンちゃん(かわいい)が部屋の中にいるとします。

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とりあえずどうしますか??

 

A. 撫でる

 

ですよね。
犬が嫌いな人には申し訳ないんですが、犬が嫌いじゃなければまぁ間違いなくこの回答になるでしょう。

 

お互いがもうかわいいので撫で合いが始まります。

 

もう既にこの時点でおっさんとおっさんのスキンシップという異常事態(ただし、お互いかわいい)が発生しているのですが、ごく自然な出来事なのです。


そうして楽しい一時を終えた後やることといえば、そうです。思い出を残すための写真撮影ですよね。


カメラを片手に一緒にピース!

 

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自撮りをしている図

ん???

 

待って???

 

自然な流れで自撮りしてしまったぞ???

 


自ら自撮りなぞ死んでもせんだろうと考えてた私が(うんこの画像を残してても意味は無いので)ナチュラルに自撮りをしてしまったのである。


ここで「あ、脳がバグっとるな」と認識すると共に、何故不快感無く自撮り出来たかを考えることになった。

 


まぁここまで読んでくれてる人はすぐ分かりそうだが、3次元を超越した「かわいい」を身にまとうことにより顔面プライド上位10%を突き抜けてしまったのである。
上位10%ならまだしも、上位1%すらだ。

 

「世界の美女大集合」すら超えた全員オーバーフローしたような立ち位置にいるので、何をどう撮っても価値が生まれていく

 

一見頭のおかしな事を語ってるように思えるだろうが、自分の中では結論が出てしまった。

 

全人類が「かわいい」を身に纏った時、その瞬間が人種差別問題の終わりの時となるのだ。

 

 

③「かわいい」とVRの親和性について

 

前項で「かわいい」が脳に多大な影響を与えることを説明してきたが、この「かわいい」の有効的な利用方法について一例をあげよう。

 

途中でも言及した健康分野である。

 

私が最近特にお気に入りのワールドは「VRC筋肉部」ワールドだ。

 

☆VRC筋肉部公式Twitter

https://twitter.com/VRCWorkOut

 

毎日日本時間の6時、8時、21時頃に開設され、前方のモニターに映し出される日替わりの筋トレ動画をみんなで集まって見ながらこなす。

 

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みんなでトレーニングしている図


最後は「ビバ・マッチョ!」という筋肉ダンスをみんなで踊って終わりというレクリエーションをこなす。

 

選ばれる動画はビリーズブートキャンプといった日本でもおなじみの動画もあれば、見たことないものもある。


ただ、運動量としては大体同等程度で運動不足の陰キャにはなかなかにキツい。

しかし、キツいと思ったら周りを見るのだ。

 

 

周りの美女達も頑張っている…!!

 

 

それを見てると「僕ももっと頑張らないと!」という気になってくるのだ。

 

美女と一緒に楽しむレクリエーションがこんなに面白いとは。


パリピが毎日楽しそうにしている理屈が分かってきた。
これは確かに面白い。

 


健康に気を使って運動を心がけているものの、基本的に運動するのは嫌である。

 

にもかかわらず、圧倒的なモチベーションを維持しながら運動を続けることが出来ているのは100%「かわいい」のおかげであると心の底から言える。


家から徒歩0分で美女に囲まれて圧倒的モチベーションを保ちながら楽しめるジムが世の中にはあるらしい。


こんなもんラ〇ザップはすぐに投資すべきだ。

 

コンビニの上にジムを併設しようとしてる場合ではない。
VRジムの経営こそが完全に行く末だ。

 

 

VRの可能性とソーシャルゲームの行く末

 

様々な分野で応用が期待されていると言われるVR


一度体験したことある者はこの言説に納得するのだが、未体験な者には想像すら難しい。

 

常々VRはその珍妙さから問題視され笑われた。


良いニュースは拡散されず、「VR帰宅」等といったインパクトのあるニュースが拡散して取り上げられた。

(私はVR帰宅は実際に可能であると考えているが)

 

現在でも初期投資が幾分必要であり、普及はまだまだ難しいとは思うが、先に記したようにその可能性は無限大であり、ヒトとしての意識を根本から覆すことができるだけのポテンシャルを持っているのは間違いない。


一方で懸念しているのはソーシャルゲームの行く末である。

 

先のプライド分散理論でも記したが、プライドの確立に必要なのはコミュニティの有無である。


グラブル」であれば騎空団によるコミュニティの発生、「アイマス」であれば偶像崇拝による救いが発生する可能性があるが、FGOおよびパズドラ等一人でほぼ完結してしまえるソーシャルゲームは超危険であると考えている。

 

世間的に"無価値"とされる古今東西様々な趣味の大部分は大いに価値がある。


全ての趣味と趣味は細い糸で繋がっており、その糸は日常生活、家庭、仕事まで全てに繋がっている。

 

細い糸と細い糸が絡み合った時に相乗効果が発揮し、より太い糸へと変わり、プライドが強化されていく。

 

この言説を「全ては繋がっている」であったり「スキルは掛け算」という表現で説いているのだが、この理論には大きな落とし穴がある。

 

これ以上広がらないコミュニティの存在だ。

 

私にはどうにも先に示したFGOパズドラ等の完結型ソーシャルゲームが糸の行き止まりとしか思えないのである。

 

思い違いであったらいいなぁと思いつつ、やっぱりそうだろうなぁと考える日々。

 

と、いってもほぼ確実に今回語ったVRも10年先には過去の技術になるだろう。
その時はまた新たな"未来"を全力で楽しみたい所存である。

陰キャオタクがゴルフを始めようと思ってしまったら

はじめに

「アニメが好き」という陰キャが人権を得始めてからどれくらい経つのか。

 

エヴァンゲリオン」放映時なんかはまだ人権は無かった気がするが、「涼宮ハルヒの憂鬱」等の京アニ系アニメが流行りだしたくらいからだんだんと「アニメが好き」と言える空気が出てきたように感じている。

 

そのハルヒの放送が2006年


仮に当時大学生だったオタクは13年経ちみんな30歳を超えている

 

そんな三十路に到達した陰キャオタク達は皆一様に考えているんじゃないだろうか

 

「最近お腹が出てきたなぁ…」


当然である。


何故なら我々陰キャオタクは運動をしないのである。

 

しかし、歳を重ねると運動の大切さを実感してくるのではないか。

 

仕事でも趣味でも結局のところ体力勝負になることが多い。

 

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創作はいつも削られた命から産み出される


圧倒的な才を持ちスマートな仕事をする人も中にはいるとは思うが、

煌びやかな良い仕事は大体泥臭い作業の上に成り立っている。

 

それ故にランニングや筋トレ等お金のかからない対策法はSNS上に枚挙にいとまがなく発信され、ジム等にオタクが通いだす事例が続出している。

 

しかし、そんなオタク達はこうも思ってるんじゃないだろうか

 

「どうせ運動するなら、楽しみながら運動したいよね」

「趣味を持つなら、長く続けれる趣味がいいなぁ」


この記事はそんな「趣味を開拓しつつ、運動もしたいオタク」が「ゴルフでもやるか」と思い立ってしまった際に参考になると思われる記事である。

 

なお、ゴルフの知識に関しては「みんなのゴルフをやったことがある」程度を想定して書いているのであしからず。

 

≪目次≫

はじめに

第1章 陽キャ体育会系の言う事は話半分に聞け 

第2章 初期装備選択

 第1節 クラブ選択

 第2節 練習場で必要な装備

 第3節 コースで必要な装備

第3章 練習場に行こう

第4章 ショートコースに行こう

第5章 本格的なコースに行こう

 

 

第1章 陽キャ体育会系の言う事は話半分に聞け

表題で出オチ感あるが、最初に「運動系の趣味」における心構えはしておかなければならない。 


何故我々が陰キャオタクなのかと言うと、大体がそもそも運動があまり得意でなかったからに起因するのではないか。

 

そんな体育会系が蔓延る趣味での言説は、「そもそも運動ができる奴バイアス」がかかっている。


全ての言説が間違っているとは言わないが、多くは我々の身体には合わないものだろう。


では何を参考にすればいいのか?

 

僕の答えは「女性ゴルファー」または「ヨボヨボのおじいちゃんゴルファー」である。

 

老若男女が同じフィールド(スタート地点は異なるが)で戦うゴルフでは男子選手と女子選手の攻め方は全く異なる。

 

体育会系の人は同じように恵まれた体躯を持った男子プロをお手本とするのが筋だとは思うが、せいぜい身長が170cm足らずのひょろひょろオタクがお手本とすべきは「体格のいい女性」か「力の無い男」の戦略である。

 

と、いうわけで次の初期装備編は昨今の女性ゴルファーを参考としたピックアップをしている。
(用具は男性用を購入してね)

 

 

第2章 初期装備選択

第1節 クラブ選び


コースに出るために必要なゴルフ用品は多々あるが、とにもかくにも練習を始めるにはまずはクラブを集めることだ。

 

ご存じかもしれないが、大前提として「コースに持っていって良いクラブは14本まで」というルールがある。

 

多数のクラブがあった方が戦略が広がるため、プロは頭を悩ませ14本を選ぶと思うが、陰キャオタクにその必要は無い。

 

そんな本数のクラブを使いこなせないのである。

 

そもそもクラブが増えると投資もかさむし、持ち運びが面倒くさい。

 

よって以下の順でクラブを揃えることをオススメする。

 


①9番, 8番, 7番アイアン (+ピッチングウェッジ)

必須装備。

 

ゴルフゲームをプレイしたことのある人なら「アイアンってもっといっぱい無かったっけ?」って思うだろうが、この3本で十分である。

 

安かろう悪かろうのクラブでもとりあえず使えると思うので、とりあえず中古のゴルフ用品店、またはメルカリ等で見つけよう。


下手すればセットで数千円で売っている。


格ゲー勢がアケコン何台も持ってるように、案外ゴルフする人は謎のクラブをいっぱい持ってるので借りるのもいい。


通常ゴルフクラブはより遠くに飛ばすためのクラブであるほど、ボールとクラブの当たる角度は水平に近くなるし、クラブの長さが長くなる。


これがクセ物であり、水平に近ければ近いほどボールを打ち上げるのが難しくなるし、長ければ長いほどボールに当てるのが難しくなる。

 

すなわち遠くへ飛ばすクラブほど扱うのは極端に難しくなっていく。
(個人的に6番アイアンから急に難易度が高くなる)

 

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女性のクラブ選びと飛距離の図 参照:女性ゴルファーのためのクラブ選び Part.2

 

当然初心者が難しいクラブを使ってもボールは前に飛びはしない…


そこで最低限「前に飛ばす」、「そこそこ飛ばす」を練習する上で最適なのは9番アイアンである。

 

9番アイアンを使って大体打てるようになると、その内8番、7番と使えるようになっていく。


まずはこの「最低限飛距離が出るクラブ」達と友達になろう。

 

 

②アプローチウェッジ(52度、56度)

ある程度打てるようになったら今度はグリーンへ寄せるために短い距離を打つクラブ選びである。

 

個人的な感覚かもしれないが、このアプローチウェッジが最も繊細なショットが要求される故に、各個人特有のスイングに合うクラブ合わないクラブが発生する。

 

試打が出来る中古のゴルフ屋に行ってロフト角度52度程度のアプローチウェッジを片っ端から打ってみて直感的に合ったクラブを選ぼう。

 

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角度はここのロフト角のこと。ロフト角が高いほど上に打ちあがり遠くに飛ばない。


56度のクラブも同様に選んでも良いが、主に使用するのは練習しずらいバンカー等となるため、とりあえず52度のクラブと同じメーカーのクラブを選ぶのは一つの手である。

大体打ち感が似ているのでハズレが少ない。

 

 

③パター

パターはコースに出る上で必須クラブであるが、練習場で使うことが無いので後に回した。

 

めちゃくちゃ種類が多い上に中古ショップでの試打も自由なことが多いので色々触って気軽に選ぼう。


ここまでの6本があれば、ショートコースは完璧だし、一応どんなコースでも回れるようになる。


これ以降は「あればすげー便利なクラブ」となる。

 

 

④ユーティリティー(ハイブリッドタイプ) (25度)

さて、男性との戦略が変わってくるのはこっからである。


6番以降のアイアンを省く代わりに、打ちやすいユーティリティーという種類のクラブを入れておこう。

 

「役に立つ」という名前がつけられたこの種類のクラブは、いわば強キャラそのものである。


シャフトが比較的短く設計されており、反発力が高く簡単に飛距離が出る。

すなわち「比較的打ちやすく、よく飛ぶ」のだ。

 


男性ゴルファーは入っていても大抵1,2本だが、女性ゴルファーは3本以上入ってることもざらにある。


それだけ「非力な人」には利便性が高い種類のクラブである。

 

このユーティリティーと一本友達になっておけばロングコースが滅茶苦茶楽になるため、比較的入手がしやすくロフトもある25度のユーティリティーを検討しよう。

 

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僕が好きなのはタイトリストのやつ(個人差があります)

 


⑤ドライバー

さて、普通の人の感覚だと「まずアイアンはなんとなく分かるけど、次にドライバーでは?」となる。


それはそうなのだが、このドライバーという代物がそもそも「陽キャ用のクラブ」であることを念頭に置いておかなければならない。

 

筆者はゴルフをする上でギックリ首およびギックリ腰になったことがあるが、いずれも原因はこのクラブである。

 

ドライバーはボールを飛ばすように設計されているため、クラブがとにかく長く、軽い。故に扱いが難しい。

 

ゴルフ初心者はまず上手くボールにクラブを当てれないため、地面を叩いてしまったり空振りしてしまったりしてしまう。

 

身体に最も負荷がかかるのは「自らが想定していない負荷が身体にかかった時」である。


身構えてない状態なので100%の力で襲い掛かってくる。

 

すなわち、地面を叩いても空振りしてもボールに伝える予定だったすさまじい遠心力が100%身体に返ってきてしまうのだ。

 

ある程度筋肉がついている状態であれば身体がカバーしてくれるが、陰キャオタクの筋肉量ではひとたまりも無いのである。

 

と、いうことで筆者は最悪無くてもコースを回れるユーティリティーやドライバーの練習は後回しにして、アイアン関連で「クラブを振る」運動をして関連する筋肉をつけることを優先するのをオススメしている。

 

買う場合は「初心者用」と銘打っている中古ドライバーを選ぼう。
初心者用はクラブヘッドが大きく、クセが少なくまっすぐ飛びやすいように設計されているものが多い。


また、ゴルファーは高確率で何本かドライバーを持っているので借りたり譲ってもらうのもいいだろう。

 


第2節 練習場で必要な装備

ここからは練習場に行く際に必要な装備である。

 

〇グローブ

ゴルフ屋さんに行ったら各サイズの試着があったりするのでそれで自分のサイズを確認しよう。

 

ゴルフグローブは一般的に左手だけにつけるものであるが、女子はみんな両手つけている。


僕はゴルフを始めた際に左手だけつけてたが、右手にマメが出来ることに悩まされたので両手グローブにしている。

 

つけ始めてから「なんで両手グローブつけてるの?」と頻繁に聞かれたが、逆に「何故左手しかグローブをつけないの?」と聞き返すと誰も答えれなかった。


後々調べてみたが「かっこ悪い(とされている)から」以外の理由が見当たらなかったため僕は両手グローブを推奨している。

 

僕は羊革のグローブが好きだけども、別に適当なので良いと思う。

 


〇ゴルフバッグ

クラブを素手で持ってくる人もいるけど、大抵猛者である。


ゴルフバッグは後々コースに出る時に必須なので持っておいた方がいい。

この際新品で買うのは非常にもったいない。

 

全国各地で頻繁に開かれているコンペにおいて、ゴルフバッグは頻繁に景品となるが、ゴルフバッグをもらったところで既に大体の人はゴルフバッグを持っているのでその多くは譲られたり質に流れたりする。

 

と、いうことでゴルフバッグは比較的新古品が市場にゴロゴロ転がっているのが現状である。

 

自立しやすかったり色々あるが、とりあえず安いやつを選んで問題無い。

 

 

第3節 コースで必要な装備

更にコースに出る際に必要な装備をあげていく。

〇ボール
初心者はどんどんボールを失くす上に出費が馬鹿にならないのでできるだけ安いボールを使うようにする。


よって選択肢はまずゴルフ用品店に売ってるロストボールになるだろう。

 

慣れてきたらプレイ中に森に打ち込んでしまった自身のボールを探すついでに放置されたロストボールを拾い集めることで、たまにしかボールを買わなくて済むことになる。
(プレイ中の隣の人のボールとかは拾わないように注意しよう)

 


〇シューズ

ゴルフ用のシューズは、芝の上で滑らないように設計されているため専用のものを買いたい。

 

近年は普段使いもできてお値段も手ごろなスパイクレスタイプが浸透してきており、なおかつNewBlance等カジュアルめなメーカーも参入してきてるので価格も下がり気味である。

 

機能性云々よりも自分の足に合うシューズを探すのが最も重要である。


シューズは流石に売り飛ばしにくいので、ゴルフを辞めてもはけるタイプが良いかも。

 


ティー

安いショートティーを何個か持って行く。
ドライバー打つ場合はロングティーを買っておく。

ティーもその辺にいっぱい落ちてるので、拝借して使用してもいい。

 


〇服装

ゴルフは「紳士のスポーツ」とのことで推奨の服装があるが、名門ゴルフコースで無い限りは服装でプレイを断られることはない。


が、郷に入れば郷に従え的なことはあるため、以下には注意しておくと良い。

 

・襟付きの服を着る。
主にポロシャツとなる。
肌寒かったら下に長袖を着るか羽織るものがあるといい。
ちなみにタートルネックも襟付きと判定されるバグがある。

 

・ズボンをはく
ジーンズ、ジャージはダメっぽいけど、それ以外なら大体なんでもいける。
夏は半ズボン可。

 

・帽子をかぶる
オタクは陽に弱いので帽子を被ろう。
一応必須装備扱いだが、かぶってなくても特に注意を受けたことはない。

 

・ジャケット
名門コースだと夏でもジャケット必須みたいなことになるらしいが、オタクはそんなとこ行かないと思うので要らない。

 

・雨具
運悪く雨が降ってしまうと雨具が要る。
完全に予約して行く時以外は「雨なら行かない」という選択肢を取ろう。
雨のゴルフは正直面白くない。

 


第3章 練習場に行こう

練習場、いわゆる打ちっぱなしというものは数は減っているがまだまだ割と点在する。

料金プランは様々で1球〇〇円で球を買うところもあれば、30分〇〇円で打ち放題のとこもある。

 

大概レンタルクラブもあるので、手ぶらで行っても楽しめるが、最終的に打つのは自分のクラブなので自分のクラブを持って行こう。

 

〇注意点
①席取り
ゴルフ練習場についたら受付を済ませて打席を取る。


この際出来るだけ打席に向かって右手側の席を確保するようにしよう。

 

何故か?


初心者から球に100%ヒットするような人はまずいない。


球の上を叩くと飛んでいかず、下を叩きすぎると地面を叩くことになる。
これはまだいいのだが、問題は左右へのブレである。

 

初心者が振ると大体クラブがイメージ通りに返ってこず、振り遅れのような形になって右方向に打ってしまう。


これに左右のブレが重なると真っすぐ打とうと思ったのにほぼ真横にもの凄い勢いのボールを打ってしまうという事例が発生する。

 

横並びで打つような練習場ならまだいいのだが、弧を描いて席が配置されている場合、人に危害を加えてしまう恐れがあるため、最も右手側の席が安全なのだ。
(左利きの場合は左側の席を確保しよう)

 


②準備運動

準備運動は必ずしよう。


なんだかんだでラジオ体操を推奨している。

 

特にクラブを振るのは回転運動なので、腰と首を念入りにぐるぐる回すと良い。

 


③スイング

人のゴルフを見てるとめちゃくちゃ身体をぶん回しているように見える。


が、別に腕を振り上げる必要は最初は無く、ハーフスイングくらいから始めると良い。

 

とりあえず球に当てることから始めるのが大事である。


1球いくらの練習場であれば、もったいないので素振り⇒打球を繰り返すと良い。

 

と、いうか初心者がフルスイングすると前述の通り100%身体を壊す。注意しよう。

 


④球の置き位置

これは人によるだろうが、クラブで球を打つ時、身体の中心にボールを置いても上手く飛ばない。


何故ならクラブを振り下ろした時、最も力が加わり、正面に向くのはもう少し前の位置だからだ。

 

バレーのスマッシュ、野球のミート等様々なスポーツで言えることだが、適切なミートポイントはいつも身体の中心より少し前である。


球の置き位置が適正場所より後ろだと野球で言う「振り遅れ」気味になり、打球が右に飛んでいく。


最初の席取り編で書いた「初心者は右に飛ばしやすい」原因の一つである。

 


〇個人的練習法

①とりあえず9番アイアンを使って7割浮かせれるようになる。


②9番アイアンを使って7割が狙った方向±5度で飛ばせるようになる。


③大体60ヤードくらいを打てるようになる。


④大体30ヤード転がせるようになる。(無理にアプローチウェッジを用いず、7番やユーティリティで軽く当てて転がすのも手である。)

 

ここまで出来れば余裕でコースに出れるようになる。

 


第4章 ショートコースに出よう

 

さて、まず目指すコースは大抵が9ホールで構築されているショートコースである。


ショートコースは全てのコースが100~200ヤードまでで構成されており、グリーン、バンカー等が完備されている上、一人からでも回れる場所が多く、なおかつ安い。

 

場所によっては1日回り放題で3000円もしない場所もある。

流石にしんどいので2時間程度が限界だが…

 

仲間とワイワイやるも良し、一人で黙々と回るも良し。


色んなクラブを使ってみて、課題が見えたらまた練習場で練り直そう。

 

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なんかショートコースって意外といっぱいありますね

 


第5章 本格的なコースに出よう

ショートコースで雰囲気が大体分かったら次は本格的なコースに出よう。

 

最近はインターネットの予約システムが発達しており、じゃらんゴルフ等で予約するとかなり安い日もあったりする。


ただ注意してもらいたいのは、本格的なコースは大抵3~4人で回らないと追加料金等が発生してしまったりで敷居が非常に高い。

 

また、予約したのに雨が降ってしまっては正直最悪である。


そこでオススメは「早朝ゴルフ」および「薄暮ゴルフ」があるコースである。

 

どちらも予約無しで遊ぶことができることが多く(要電話確認)、2人から追加料金無しで参加できたりするので、本格的なコースを9H分格安で回ることができる。

 

特に早朝ゴルフは早めの組でサっと上がれば、予約組の第1組がまだスタートする前に上がれるので、そのまま通しで18H遊べたりする。


終わっても大抵10時回ってないので、1日の家事アレコレがまだまだ出来て非常に健康的な生活が可能である。

 


その他、裏マナー等細々としたことはあるが、以上が「陰キャオタクがカジュアルにゴルフを始めるまで」の道順の一つである。

 

それではまた。

 

PS.こういうのにキャッチーな絵をつけれればコミティアにでも出すんだけどなぁと考えてるんですが、誰かやりません???

とある格闘ゲーマーが到達した人生の道しるべ ③シャブセックス理論

第3章 シャブセックス理論

≪目次≫

第1章  プライド分散理論
 第1節  プライドの定義
 第2節  現代日本におけるプライドの形成
 第3節  プライドの仮設
 第4節  現代日本でのプライド仮設の問題点
 第5節  プライド分散
 第6節  プライド分散のススメ

 

第2章 世界ランク理論⇐この記事はココ
 第1節 自己分析 自我の目覚め
 第2節  自我の目覚めのプロセス
 第3節  世界ランク理論
 第4節  感性のキャリブレーション

 

第3章 シャブセックス理論  ⇐この記事はココ

 

第4章その他の理論について
⇒腐るほどあるから本人に聞きに来てくれ

 

 

さて、他の二つに比べて完全にふざけたネーミングだと皆さん感じるだろう。


とても外じゃ口に出来ない文言である。

 

しかし、この名前以外無かったので仕方がない。この名前以外は嘘である。


さて、世界ランク理論と同様に私が何故シャブセックス理論を構築し始めたかを最初に示さないとならない。

 

私はとある大学の薬学部の研究科を卒業している。

 

何故薬学部に進んだか?

 

聞かれた時は「幼い時に~」云々適当な理由を並べているが、ザックリといって「エロい薬を作りたかったから」に他ならない。


当時は対魔忍という概念は無かったが、きっと、おそらく私は「感度3000倍」的なものに憧れを抱いていたのだ。


主になかじまゆか先生のせいであったが、まぁそんなことはどうでもいい。

 

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△久しぶりだなぁ 「D.L. action24」

 

悲劇は生化学だったか人体生理学だったかを学んでいる時に起こった。

 

結局のところ人間の快楽は脳内の分泌物に支配されていることに気付いたのである。


では、その物質をガバガバ出す薬品を生みだせばいいのではないか?

 

もう皆さまお分かりだろうか。


その最適な物質とはメタンフェタミン(覚せい剤、シャブ)に他ならない。

 

崇高で堅い意思を持ち勉学に臨んできたが、両親の教育の賜物で順法精神に満ち溢れた私は別に中学生だろうが高校生だろうが、想像力を働かせれば理解できそうなことを大学1年の時に気付き、打ち砕かれたのである。


そんなこんなで生きる目標を失った私はここを深く掘り下げることになった。

 

「何故、そもそも僕はエロい薬を作りたかったのだろうか?」

 

気持ち良さを体感したかったからだという答えを得てからは後は早かった。


気持ちいいとは何だ?

 

人間には3大欲求というものがある。

 

食欲、睡眠欲、排泄欲(性欲)と言われているが、必ず必要であると同時に気持ちよさが伴う。


生命活動を維持したご褒美として脳が快楽物質を分泌しているのだ。

 

皆さん例えばゲームをしていて食事や睡眠を忘れてしまったことは無いだろうか?


私はそれが頻繁に起こっていた。既にご褒美を脳が得てしまったから、脳が勘違いして欲求が想起されなくなっていたと考えられた。


この快楽物質は日常の様々なシーンで得られる。

 

そこまで考えて、私は「人間の目的は快楽物質を生産し続けることである」と仮説を立てた。

 

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△後に全く同じ話を漫画で見て一生頷いてた。 「マザリアン」より

そうすると様々な現象に納得がなくようになった。


みんなとにかく「チョー気持ちよく」なりたいのだ。

 

 

人間の生命活動の他にどのように人間は快楽物質を得ているか?


承認というエネルギーに他ならない。

 

『承認=気持ちいい』のだ。

 

この話に説得力を持たすためにこれまで小難しい話をしてきたのが、この章ではとにかくバカになる。その必要性がある。

 

とにかく『承認=気持ちいい』のだ。

 

 

次第に「チョー気持ちよくなるにはどうしたらいいか?」という問題を考えるようになったが、やはりそこにも大きな問題が立ちはだかったのである。

 

気持ちよさの限界点が「肉体的な刺激と脳内物質の分泌を同時に得ること」なのであれば、その限界点こそが「シャブセックス」なのである。

 

これはいけない。


私の順法精神がそれを許さない。

 

そもそも何故法は守らなければならないかという話になる。


法とは基本的に「過去に許可してたらめちゃくちゃになっちゃったorなる可能性があったからみんな禁止ね」というものだ。


いたるところで喧嘩が起きればエスカレートするのでそれは禁止しなければならない。戦争ですら予告無しに爆撃しちゃうと収集がつかなくなるので、必ず宣戦布告しなければならない。

 

法の裏をかくのはただの裏技なのでやったもん勝ちだとは思っているが、法を順守することこそが最低限社会で生きる上で重要なことだと考えている。

 

覚せい剤の場合は何が悪いのか?


常習性や症状等があげられるが本質はそこでは無いと考えている。

 

ただただ「簡単過ぎる」のである。

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△結局苦労を乗り越えた先にある快楽が自らを成長させる。「マザリアン」より

本来は大きな苦労を乗り越えた先にある達成感や、頭を抱えながら捻り出した創作物を見た時の恍惚感とほぼ同等と考えられる莫大な「承認エネルギー」が注射一本で得られてしまう。

 

プライドの確立なんて非効率なことは極めてバカらしくなってしまう。


そりゃもう確実に廃人まっしぐらだ。

 


上記のように絶対に覚せい剤の使用はいけない。

 

しかし、これは断言出来る。

 

目指すべきはその領域である。


例えばオリンピックの金メダル。
身体的な疲労によるエンドルフィンの分泌と全国民の賞賛
これはもう実質シャブセックスと言ってもいいだろう。

 

例えば神絵師が即売会で自分の描いたキャラと同じコスプレ売り子と同人誌を販売した後にホテルin
これはもう実質シャブセックスと言ってもいいだろう。

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△髪を焼いて吸引するのも実質シャブセックスだ 「アダムとイブ」より



しかしここで残念なお知らせがある。


この誰が見ても「実質シャブセックス」の領域までいけるのは非常に限られた才能と努力を惜しまずに投資してきた者だけである。


しかも生存バイアスがかかり、足元には名前も知らない死体が大量に転がっているだろう。

 


さて、聡明な皆さんは気付いただろうか?


そう、「誰が見ても実質シャブセックス」は別に目指す必要性は必ずしもないのである。


大事なのは「あなたにとってのシャブセックス」それである。


新しい星を見つけて自分の名前をつけるのがシャブセックスの可能性もあるし、地元の消防団に所属して地域の平和を守ることがシャブセックスの可能性がある。


ネトゲで姫プレイすることがシャブセックスである可能性もあるし、自分の嫁が寝取られるのを眺めることがシャブセックスの可能性がある。

参考:寝取られ性癖に苦しむアライさんまとめ https://togetter.com/li/1339234

 

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ネイチャージモンもこう言っている。 「ネイチャージモン」より

 


ここで第1章の〆と全く同じ文章をここに書こう。
あなたはどう感じるだろうか。


楽しいことがなくても、好きなことがなくてもじっくり腰を据えて眺めて欲しい。


蛭子さんも「好きなことが見つからないときは、とりあえずお金を稼ぐんですよ」と言っている。

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蛭子さんもこう言ってる



変化に対するアレルギー反応だらけで予想よりは変わらなかったとはいえ、この平成の30年で世界は急激に変わった。
マスメディアが価値を作り出さなくても個人がどんどん価値を創出できる環境ができた。

いつ好きなものが出来てもいいように準備をしとくべきだ。
それがあなたの可能性を育み、新たなプライドの確立に繋がることだろう。


それでは各位、自分だけのシャブセックスを見つけてください。

 

◆リンク

第1章 プライド分散理論へ

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011050

 

第2章 世界ランク理論へ

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011111

とある格闘ゲーマーが到達した人生の道しるべ ②世界ランク理論

第2章 世界ランク理論

さて、第1章のプライド分散理論が壮大な話になってしまったが、気負う必要は無い。
残りの2理論は基盤3理論と私個人が呼んでるが、プライド分散理論の付随理論みたいなもんである。

≪目次≫

第1章  プライド分散理論
 第1節  プライドの定義
 第2節  現代日本におけるプライドの形成
 第3節  プライドの仮設
 第4節  現代日本でのプライド仮設の問題点
 第5節  プライド分散
 第6節  プライド分散のススメ

 

第2章 世界ランク理論⇐この記事はココ
 第1節 自己分析 自我の目覚め
 第2節  自我の目覚めのプロセス
 第3節  世界ランク理論
 第4節  感性のキャリブレーション

 

第3章 シャブセックス理論 

 

第4章その他の理論について
⇒腐るほどあるから本人に聞きに来てくれ

 


第1節 自己分析 自我の目覚め


世界ランク理論の構築が始まったのは僕の就職活動中である。

 

恐らくここ10年ぐらいの大学生の就職活動において履歴書を書く前にする恒例行事があるだろう。


「自己分析」である。

 

例に漏れず大学の就職センターが主催する就職セミナーに出た私は、配られてきた自己分析用の用紙を一気にビッチリ埋めた後にトイレに立った。

 

その時私が周りを見渡してみるとどうだろうか。

 

開始5分で9割の人が未だ白紙の紙を持っていた。

 

私は驚愕した。
途中で止まっているのなら分かる。


文章の構成に得て不得手はあるし、とりあえず箇条書きにするのも手である。

しかし白紙とは…

 

そして聞こえる話し声

 

「自己分析が分からない」

 

ここで更に雷に打たれると共に気付いた

『分かった。自我に目覚めていないんだ。』

 

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△こんな与太話を真に受けるんじゃない。自分で考えるんだぞ。「星明かりグラフィクス」より

 


さて、世の中で当然のように使われる「自我の目覚め」という言葉。


あなたが自我に目覚めたのはいつだろうか?

2歳?3歳?

 

残念ながら恐らく貴方はその時自我に目覚めていない。
「物心がついた」のである。

 

さてここで自我の目覚めについて定義しよう。

 

自我の目覚めとは「自分で物事を判断できるようになることである。」

 

こう書かれると「そんなの4,5歳にはついてた」と考えるのではないか?


しかし、やはり大半の人は確実に自我は目覚めてない。

 

本当に自分の好きなことを自分で選んでたのだろうか?


そこに親の意思は無かったか?そもそも選択肢を狭められなかったか?兄弟はやってたか?友達はやってたか?


何かの影響は本当に無かったと言えるのか?

 

言えるという人は大したものである。恐らく親が非常に優秀でお子さんの自我を育んでおり、本人も極めて聡明なのだろう。
おそらく若くして起業家になったりしているのではないか。
いやはや素晴らしい。

 

しかし、ほとんどの人は確実に"影響があった"のである。

 

乱暴に言ってしまえば「思考停止」という言葉が出てきてしまうが、日常にはこういったバイアスは無限にかかってきている。


「テレビでやってたカフェ」「チラシで見た商品」「友人オススメの器具」「ナビサイトオススメのご飯屋さん」


全てが決して自分で判断してはいない。仮に美味しかったとしてもやはりバイアスがかかってしまっているのだ。

 

言うなれば数学の答えを見てから解答しているようなもんである。

 

別の解答があったとしても、必ず見てしまった解答に引っ張られていってしまう。

 

自分での判断は、滅茶苦茶多大な労力がかかってしまうのである。


その労力を補ってくれるのがサービスであり、お金が集まる理由であろう。

 

大部分の人は自分で判断しなさ過ぎて自分のことが判断出来なくなってしまっているのだ。

 

 

第2節 自我の目覚めのプロセス

 

さて、話を戻してもう一度質問しよう。


「貴方が自我に目覚めたのはいつですか?」

 

途端に自信が無くなってしまったのではないだろうか。


流行がテレビによって作られ、情報が新聞や雑誌でのみ共有され、個人の意見が広く発信されなかった頃、果たして自我に目覚めれた人はどれだけいたのだろうか…?

 

とある実業団の陸上競技のコーチの講演でこういう話があった


「実業団に所属した選手にまず行うのは"教育"です。その後に知性がつき、能力がつきます。」

 

違和感を覚えないだろうか?
実業団として所属する陸上選手の多くは大卒である。能力前提の話では…?
にもかかわらず、教育と知性が最優先…?

 

つまりコーチは何を言いたかったか

 

多くの選手は「考えるとこまでも至ってない」のである。


この辺の構図は実に分かりやすいのではないか。

 


昨今はデータによるスポーツがどんどん浸透していき、トレーニングも効率性が求められているものの、ほんのひと昔前は水を飲まずにうさぎ飛びが当たり前の時代である。


はたしてうさぎ飛びの効果は検証してきたのか?水を飲まない効果は検証してきたのか?

 

答えはおそらくNoであろう。誰もしてこなかったから、伝統的に残ってきたのだ。

 

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△最近のスポーツ漫画は随分理論的なのが増えました。好き。 「神様のバレー」より


 

 

「それは体育会系の話だから」と文化人は考えるかもしれないが、本当にそんな問題だろうか?

 

その時に一緒に講演に来ていた陸上競技の元オリンピック選手に質問できる機会があったので、私はたまらず聞いた

 

「自分で考えて競技をやりだしたのはいつからですか?」

 

周囲から笑いが起こる中、しっかりとその選手が答えてくれた。

 

「ケガをした時からですねぇ…20か21歳くらいでしょうか…」

 

その時確信したのだ。


「この人は、その時自我に目覚めたのか」と

 


自我に目覚めるタイミングはどうやら大きな挫折や怪我、病気を被った時に引き起こし易いと推測している。


安全な道を行ったり、誰かに常について行ってしまったり、何の因果か勝ち続けてしまった人はそもそも物事に対して疑念を挟むことは基本的に無い。

 

これについては責任逃れを続けている人も含まれる。悪くない以上挫折はしないのだ。何故なら悪くないので。

 

この辺は最近は『空よりも遠い場所』でも描写されていたのではないだろうか。キマリは自分や周囲の環境に疑念を抱き、自我に目覚めの第一歩を踏み出したのだ。

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△「よりもい」は自我に目覚める話です。 ガッチャマンクラウズもよろしく。

 

また、勝ち続けてしまう人の要素については、プライド分散理論で登場した能力が追い付いていない資産家の子供が該当してしまうことからも彼ら彼女らの危険度の高さが伺えるだろう。

 

よく聞く例としては「死ぬ直前におじいちゃんは人が変わったように優しくなった」という話だ。

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△死の恐怖で自我に目覚めた時、人は優しくなる 「惑星のさみだれ」より



私は寿命宣告という挫折によって自我に目覚めてしまった影響であると考えている。

 

自分で判断できるかどうかの根底には「疑念を持つこと」がある。


本当にそれでいいのか?もっと最適な方法があるのではないのか?

 

自分なりの解答を常に用意することが『自我の目覚め』であり、『気付き』のプロセスである。

 

 

さて、これまで書いてきた自我の目覚めのためのプロセス中の重要な要素に気付いただろうか。

 

そう、プライドの存在だ。

 

挫折は何から生まれるか。おっ立てたプライドがへし折れた時にこそ生まれるのだ。

 

すなわち、まず最初にプライドを折らないと人は必ず気付かない。


折れれば折れるだけ人は気付いていくのだ。

 

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△イキった先に道はある。イキろう。 「10DANCE」より


ここでプライド分散理論の重要性が分かるだろう。

 

1本だけおっ立てた状態で折れてしまった人はいきなり死に繋がってしまう。


1本をひたすらおっ立てないと戦えない世界で戦っている人が非常に陥りやすいのだが、ここまで書いたら読んでる皆さんもどんな世界の話か想像がつくのではないか。

 

若くして折れたらそれはもうチャンス以外の何物でもない。


歳をとって初めて折れたらまぁ後は死ぬだけなのだが、30や40歳で折れてしまうとそういう話ではなくなってしまう。


気付いた頃にはもう既に手遅れになってしまうのだ。

 

少なくとも2本以上のプライドを仮設した状態で折らないと身体は死ぬ方に舵が切れてしまう。

 


第3節 世界ランク理論


さて、このブチ折れたプライドは廃棄するしかないかと言われるとそうではない。
プライドは割と簡単に再建することが可能だ。


しかし再建するにはまずブチ折れた理由を自ら理解せねばならない。

 

プライドが折れる理由は「世間が思う自分(評価)」と「自分が思う自分(自意識)」との乖離である。

 

世間が思う自分の序列が高すぎると卑屈な方向に傾いてプライドの役割を十分に果たせなくなる。


自分が思う自分の序列が高すぎると自意識に評価が追い付かなくなってプライドがポッキリと折れてしまう。


前者のままプライドを維持し続けると機能不全となるので考えにくく、自然な流れで人間は後者に突入する。


いわゆる「イキり」と呼ばれる現象と言うと分かりやすいだろうか。

 

 

プライドを立てることに成功したと感じた(実際にはプライドの体をなしてなかったとしても)人は自然の流れでイキるのだ。

 

このイキりは基本的に評価より先行してしまうので、通常は乖離が発生しプライドが折れてしまうという流れになるのだが、本当の実力者の場合はこの先走るイキりに評価が追い付くので上手くプライドがそびえ立つことになる。

 

しかし、このプライドをそびえ立たせ続けることも至難の業である。


年齢と共に衰え、若い者が台頭し、意識はイキったままだが、確実に世間の評価は下がってくる。


そうして自分の意識と評価に乖離が生じてしまうとやはりここでもそびえ立ったプライドがポッキリと折れてしまうことになる。


ではプライドの維持とはどうすればいいのだろうか?

この自意識と世間の評価を限りなく近づけていく必要があるのだ。

 

 

では自意識と世間の評価を近づけるにはどうすればいいのか?

 

「自意識」と「世間の評価」は絶対に一致することは無いということはまずご理解いただきたい。


自意識と違い、世間の評価は極めて流動的でそれこそ一秒単位で変化するのだ。

 

世間は時代、環境によって価値観や評価基準が大きく変わっていく。


なんなら自分が一言発するだけで大きく変化する危険性を秘めている。


「居心地のいい空間に引きこもる」ことで世間も仮設し、プライドの仮設を安定化させることは可能だが、実際は問題の後回しなだけである。


プライドの確立には必ず世間を相手にせねばならず、世間をコントロールすることはほぼ不可能だ。

 

一方、自意識はある程度自分の判断で置くことが可能である。

 

すなわち、自意識と世間の評価を近づけるには、世間の評価を適切に捉え、そこに上手いこと自意識を設置する必要があるのだ。

 

 

この自意識を適切に設置する方法として構築したのが『世界ランク理論』だ。

 

さて、ここで皆さんに質問である。

「貴方は世界何位ですか?」


いきなり答えられるわけないだろう。むしろ答えれたら正直気持ちが悪い。

この質問には二つの要素が省略されている。


いつの時代の?
そして世界とは何ですか?


世界とはプライドの分母の範囲である。

 

例えばとある大会ならその参加者および視聴者が「世界」であるし、受験勉強であれば同世代の人口が「世界」となる。夫婦間なら「世界」は二人の間だけの話となってしまう。


最低自分を含めた2人、最高でこの地球上の全人類が「世界」だ。


もう一つの重要な要素は「いつの時代の?」だ

 

先に書いた通り、プライドの安定化に必要な要素は『今』の世間の評価だ。

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△みんなが目指すべきは小西か、時田か 「エアマスター」より



しかしそんな簡単に『今』の世間の評価を把握できればそもそも苦労しない。

 

世界ランクの設定を間違えてしまったから自意識の暴走を起こしてしまったのに、同じ状態で世界ランクをつけようとすると当然滅茶苦茶なものになってしまう。

 

世界ランクの設定に必要なのは確かなエビデンス(実証)である。


例えば日本における年収だったら厚生労働省が大体のデータを出してくれているだろう。


競技であれば「この大会に出た。規模はこんなもんで結果はこうだった」というのが一番分かりやすい。


また、ゲームとかだと非常に分かりやすいだろう。リアルタイムに大体の分母、自分の位置がデータとして出てくる。

 

このように大体の趣味というものにおいて、世界ランクと向き合うための、たとえ芸術であろうと自分の順位を知るための場が発生していることに気づくだろう。


人は必ず順位をつけなければならないのである。プライドを確立するために。

 

ちなみにプライドの仮設する場合はその必要は無い。何故なら自分の順位を知らずとも勝手に設立できるからである。
ここで自意識が暴走しようと何も起こらない。

 


さて、エビデンスを手に入れてプライドを確立したら問題点に気付くだろうか?

 

「手に入れたエビデンスの鮮度はいつまでか?」


これが重要であるにも関わらず分からないのである。

 

この鮮度問題に関しては分野によって大きく異なり、日進月歩で新たな進歩が起こり続けている分野もあれば完全に凝り固まってしまった分野もあるので一概には言えないが私はおおよそ『1年』が鮮度であると考えている。

 

1年はテニスのランキングポイントがリセットされる期間であり、オリンピックを除いた様々な分野の世界選手権や展示会、発表会と呼ばれるものが1年に1回開催されてることから見ても説得力があると思う。

 

新しければ新しいほどエビデンスにはふさわしく、古くても1年以内。それ以前は今の立ち位置確認のアテになりはしない。


さて、プライドの維持のための世界ランクの設定に必要な要素を抽出してきて
「昔〇〇という大会で〇位で」という文言のヤバさが分かってきたのではないかと思う。

 

既にその過去建設されてたプライドは知らず知らずの内に折れて仮設状態に移行している可能性が高い。

 

「昔話の増加」はプライド全滅の危険サインに他ならない。

 

 

このように、世界ランク理論によって乖離されすぎた自我と評価を見直し、適切な大きさのプライドの再建が可能となる。


ただし、プライドの定義である上位10%に入っている必要性があるので、見直した結果条件を満たさないとプライドは再建できないことは留意しなければならない。
(再利用については可能である。)

 


へし折れたプライドを修復しつつ、新しいプライドを安定させ、自我の目覚めに導くノウハウこそが世界ランク理論の本質であるのだ。

 


第4節 感性のキャリブレーション


また、世界ランク理論にはもう一つの重要な側面がある。


それは「感性」のキャリブレーション(較正)である。

 

世間において無用な波風を立てずに過ごすには、時代によって変化する世間の感覚を理解する必要がある。


最も楽な方法を言うまでもなく、何も考えずに前にならえで流されていくことなのだが、中途半端に自我が芽生えてしまうと上手く流れに乗れなくなってしまう。


いわゆる優秀にもかかわらず社会不適合者であることに悩んでいる皆様はこの現象が発生しているからであると考えている。


ちゃんとプライドを立てて、折れて、自我が芽生えたが故の悲劇である。

 

自我を保った状態で世間に紛れて生活していくには、自分の感性と世間の感性の二つを常に調整し続ける必要性があるのだ。

 

さて、どうするかといったらこれは割と簡単である。

 

「世間の答えを見てから解答を出す」のが世間に引っ張られるのであれば、
「解答を出してから世間の答えを見る」ようにすればいい。

 

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△先に答えを出しておく。案外出来ない。 「神様のバレー」より


 

また、この時の解答は二つ出す必要がある。


『自分の答え』と『世間が出すであろう答え』である。

 

そして最も大事なのは「世間が出すであろう答えが違っていた場合、何故世間は違う答えになったか」という理由を徹底的に追及することである。


この時自分の答えを変える必要性は必ずしも無い。

 

重要なのは「今の世間の流れを"大体"把握すること」なのだから。

 

私は日常的な予想の他に、1年に1回出る色んなランキングを定期的に予想することを目のキャリブレーションとして用いている。


ジャンルが広すぎると答え合わせは困難であるが、ある程度ジャンルを絞れば世間の"一般的な感性"を確認することが可能だ。

 

また、自分の興味の無い分野でも流行が発生しているのあれば自分なりの理由付けをしていくと迎合が簡単になるのでオススメのテクニックである。

 

 

◆リンク

第1章 プライド分散理論へ

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011050

 

第3章 シャブセックス理論へ

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011125

 

とある格闘ゲーマーが到達した人生の道しるべ ①プライド分散理論

生活を効率良くし、生きやすくなる理論をライフハックと言うならば、死なないための理論はなんと言うのだろう?

 

一般論として死ぬことは良くないのならば、より良い生き方を語る人は多いのに死なないための生き方を語る人がいないのは何故だろう?


現状を改善するという現象は必ずしもV字回復だけを指していない。


小さな水漏れがいずれ大きな事故を呼ぶのであれば、その小さな水漏れを止めるだけでも立派な改善である。

 

私は基本的に死んではならないという考え方自体が合っているとは思っていない。

 

生きている人だけが自殺に関するレビューを書いてて、実際に死んだ人が書いたレビューは無いのだから。

 

『生存バイアス』という言葉があるが、最も生存バイアスがかかっているのは『自殺』という行動であろう。


もし、現時点で「死んだ方がマシだ」と本気で思えるのであれば、それはそれで良いのだと思う。


しかし、遅かれ早かれ死ぬにもかかわらず、死にたくないのであれば何かしらの対策を立てなくてはならない。


私がこれまで見聞きしてきた内容を基に生きやすくはならないが死ににくくなるであろう理論をここに書き記す。

 

税金の話だとがそんなのではない。

 

考え方と挑み方の話である。

 

≪目次≫

第1章  プライド分散理論 ⇐この記事はココ
 第1節  プライドの定義
 第2節  現代日本におけるプライドの形成
 第3節  プライドの仮設
 第4節  現代日本でのプライド仮設の問題点
 第5節  プライド分散
 第6節  プライド分散のススメ

 

第2章 世界ランク理論
 第1節 自己分析 自我の目覚め
 第2節  自我の目覚めのプロセス
 第3節  世界ランク理論
 第4節  感性のキャリブレーション

 

第3章 シャブセックス理論 

 

第4章その他の理論について
⇒腐るほどあるから本人に聞きに来てくれ

 

 

第1章 プライド分散理論

第1節 プライドの定義と形成

大前提として人間は『社会的な生き物』である。承認欲求からは基本的に逃れられない。

この前提がまず間違ってると思ったらこの後の長々とした文章を読まない方がいいし、読む必要性が一切無い。

また、そもそものところ承認欲求の存在を感じていないのであれば、もしかしたら既に貴方は超越したところに存在している可能性がある。

どちらにしろ関係無い話なので読むだけ無駄だろうと思う。そのぐらいこの話は長い。


さて、承認欲求の有名な例として心理学者のマズローが言及したものである。

 

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マズローの欲求5段階説 (図は引用)

ただマズローのこの提言は「西洋的な思想を基に提言されている」や「エビデンスが無い」等といった批判もある。

 

当然っちゃ当然である。

地域やコミュニティ、時代が異なれば承認や欲求の形は異なってくる。


また、エビデンスもクソも3年も違ったら文化が異なっていくような社会で何十年と一貫したエビデンスを取るのは実質不可能である。


この話も個人の「そんな気がする」の集合体だと思ってもらっていい。


ではまずプライドの形成についての話から書いていく。

 

最初に『プライド』という言葉を定義してみよう。

 

プライドは「自己肯定感が満たされるコミュニティーを持つこと」で獲得できるパッシブな効能のあるアイテムである。


獲得条件をである自己肯定感をどうやったら満たせるかというと「そのコミュニティーに所属することで、他人から一目置かれたり頼られる」必要性がある。

 

すなわち、プライドの確立とは承認欲求を満たすための承認が湧いてくる源泉の獲得。
生きるためのエネルギーの確立である。

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△承認はエネルギーなのだ 「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」より

 

 

ではプライドの確立には各分野において1番にならなければならないかと言われるとそうではない。

 

例えば皆さんが200人の参加する学力テストの際に「成績がいい」と評するのは何番くらいまでだろうか?


これに関しては人それぞれの感覚はあると思うが、私の場合であれば100番で「真ん中」、50番で「そこそこ」、20番で「成績がいい」といった印象を持っている。


すなわち「上位10%」に入っている人に対して「その人はその分野が得意である」という認識を持ち「もしもその分野で困ってたら相談する」動機付けにもなっている。

 

当然1番を取るのは最も注目されるため巨大な承認の源泉となるだろう。しかし、プライドの形成という目的には不要なのだ。

 

またプライド獲得のための分母は必ずしもその物事に従事している必要性は無い。
分母は「興味を持っている人の数」である。


すなわちほぼ全人類が関連する金銭面や容姿でのプライド獲得は非常に難しく、まだ出来て日が浅いものの急激に注目度が上がっていった分野等は比較的プライドが獲得しやすいと言える。

 


第2節 現代日本におけるプライドの形成


現代の日本におけるプライドの形成はどうなっているか?


成長モデルを以下に示すので想像しながら読んでみてほしい。
「自分の場合はこうだった!」とか「私の地域ではこうだった!」というのであれば、それっぽく置き換えて考えてみてほしい。

 

最初にプライドを形成されるのは地域の公園であったり、幼稚園や保育園というコミュニティである。


ほかの同世代の人間と一斉に比べられ、物心がつき始めると共に客観的な評価をつけられる。
評価基準の多くは運動能力や器用さである。


特出した者はプライドを獲得し、自己肯定感が生まれてゆく。


この際に「1ヵ月でも早く生まれる」というアドバンテージは非常に大きく、1年近くのアドバンテージを得ている子供に有利に働いてしまう。


実際プロで活躍するスポーツ選手の誕生日をプロファイルしたところ、見事に偏っている結果が出ていることを見ても明白だろう。

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プロ野球選手の1軍支配下登録選手の誕生日分布

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サッカーJ1クラブ所属選手の誕生日分布


本来全ての誕生月で能力は大体平均化されるにもかかわらず、である。

逆に身体能力で差が出ないプロ棋士の誕生日分布を比べるとどうだろう。

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△将棋のプロ棋士の誕生日分布。3月生まれが4月並みに多い


見て分かる通り、明らかな偏りは生じていない。

 

すなわち、幼い時の成功体験によって得られたプライドを基に自己肯定感を獲得し、強く生きられると考えられる。

 

では、この際に自己肯定感が得られなかった子供はどうなるのか?

 

答えは簡単で、次の場に移るだけである。


今度は小学校というコミュニティで、引き続き運動能力や器用さを中心に、大きな要素として学力という分野を明確に評価される。


また、2次性長に従い徐々に容姿にも興味を持つ者が増えていき、ここにもプライドの形成がなされるであろう。

 

中学校で地域が広がり、本格的に部活動という分野が広がる。


高校になればアルバイトという仕事のコミュニティも発生する。いずれの場でも活躍した者はプライドを獲得していくだろう。

 

大学という熟成期間を得て、次に大きな転機が訪れる。


プライドに一定のリセットをかけ、特定のプライドを伸ばすことを強要されるのである。

 

それが仕事(※1)であると私は考えている。

 


※1 仕事の話 (話が壮大に逸れるので別枠で記載。読まなくていいです)

仕事とは、金銭を介してある分野において信頼のおける相手に物事の代行を頼んだり頼まれたりすることである。

言わば「信頼=金」そのものである。
信頼度が高ければそれだけ価値を産み、大きな仕事に繋がりえる。

いわゆる大企業が強いのは、看板に大きな信頼があり、個人の能力に問わずそれだけで信頼が大きく底上げされるからに他ならない。
しかしその大きな信頼に見合うだけの信頼性を持った人材を保持していなければ、次第に看板の価値が落ちていってしまうため、
看板が大きければ大きくなるほど、その分野に特化した人材を求めることになる。

さて話が繋がってきたと思うかもしれないが、ここでプライドの登場である。
初めからその分野のおいて『即戦力』と呼ばれる合致した信頼を保持しているならば、フリーでも即仕事といった流れになるであろうが、なかなかそうはいかない。

信頼を獲得するには無数の要素が存在するが、プライドの認知は大きな要素となる。

このプライドを社員に確立させ、それで利益を稼ぐために企業はあるのだ。

 

 

第3節 プライドの仮設

 

さて、ここまで『自己のプライドはどうやって確立するか』という話を読んできて「いや、そんなプライドを獲得できてるなんてごく一部の選ばれた人間だろう」と考えるかもしれない。

 

私はまさにその通りだと思う。


先に述べたような誕生月での身体的アドバンテージ、遺伝に基づく身体的・知的能力の差、資金面の差(いわゆる実家の太さ)は如何とも埋めがたく、獲得した自己肯定感を根拠に挑戦することによって(資金面の余裕があれば更に)好循環を生むため、多くの場合でプライドの寡占状態を生む。

 

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△才能ある者は何をやっても基本的に強い 「ボールルームにようこそ」より


残念ながら多くの者にプライドは行き渡らないのだ。

 

才能の差は恐ろしい程に存在する。
「人間は生まれた時は平等」と言いたい人がいるのであれば、何故サラブレッドの種付け料は天地程の差があり、「黒人特有のバネ」という言葉が何の疑問も無く使われているのかを考えてほしい。


では、多くの人はプライドが存在しないのかというとそうではない。


何の病気も患わず(世間的に病気が認知されず)生きている限り、必ずプライドからエネルギーを得て活動している。

 

他者からプライドを借りること、プライドの仮設で応急対応するのである。

 

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△この感動は一体誰の感動だろう? 「ブルーピリオド」より

一番の例は「私の友達は〇〇で」という話である。


中国の故事からきた「虎の威を借る狐」という言葉があり、またイソップ童話には「The ass in the lion’s skin(ライオンの皮を被ったロバ)」という言葉もある。
他者の功績を利用し、自らのプライドを仮設するのだ。

 

このプライドの仮設は蔓延している。

 

現代における一つの病巣のような形態を見せているが、私はこの状態がいたって正常であると考えている。


何故ならプライドの仮設こそが人間社会を維持しているからだ。

 

その最たるものは仕事であり、恋愛であり、婚姻であり、子作りである。


仕事の本質の話は(※1)に詳しく書かせていただいていくので省くが、
仕事でのプライド形成の大部分は会社自身に肩代わりしてもらっているものと考えてもらっていい。

 

その証拠に会社という肩書を失った者の多くは技術介入度が低い労働以外で仕事を得られない。

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△勉強し続けないと割とリアルにこうなる 「まだ、生きてる…」より


この事実が「仕事のプライドの多くはただの仮設である」と証明している。

 

多くの人は過去または現在の優秀な人の知恵にタダ乗りしているに過ぎないのだ。
この事実を認識することが非常に重要だ。

 


さて、次は恋愛、結婚であるが、これは非常に分かりやすい構図である。
パターン①は「相手のプライドへのタダ乗りによるプライドの仮設」だ。

 

皆さん、モテる人のキーワードを思い浮かべてみてほしい。
「金持ち」、「イケメン(美女)」、「運動が出来る」、「頭がいい」等であろう。

さて、ここで最初の話に戻ってきたのがお分かりだろうか。


すなわち「幼い時からプライドが形成されている人間」へのタダ乗りに他ならない。

 

パターン②は『共依存状態』である。


二人だけのコミュニティを形成し、お互いをお互いが認め合う構図だ。

この状態に関しては非常に健全である可能性が高いので特に言及しない。

 

結婚はこれらの恋愛を用いたプライドの仮設を維持させやすくする制度である。
(当然税制面の優遇はあるだろうが、大部分の目的が仮設維持のためだと考えている。)

 


最後に子作りであるが、皆さんは何故子供を作らなければいけないかを考えたことがあるだろうか。


生き物として子孫を残すため?社会基盤を維持していくため?

 

現実問題として、子供が大量にいる方が社会を回すのが楽になるのは間違いないのだが、一個人で考えた場合「本来は必要ない」のだ。


自らの生命活動の維持以外あらゆることが「本来は必要ないこと」ではあるのだが、何故リスクを賭してまで子作りをわざわざやるのか。

 

やはりこれもプライド形成のためであると考えられる。


更に付け加えれば"自らの創造物"に価値を見出すことで、あわよくば自らのプライドを『仮設』ではなく『確立』しようとしているのだ。

 


第4節 現代日本でのプライド仮設の問題点

 

さて、ここまで現代までの日本におけるプライドの確立と主なプライドの仮設法を示してきた。


ここまで踏まえた上での「これまでその方法論で社会が回ってきたのだから別にいいではないか」という意見はもっともなのだが、現代において2点、大きな不都合が発生しているのだ。

 

一つが医療が発展し人間の寿命が著しく伸びたこと。もう一つが田舎の子供までのスマホ(インターネット)の普及である。


プライドの仮設には大きな問題点がある。


それは突然のプライドの消失だ。

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△仮設されたプライドが消失すると、突然危機に陥る 「一人交換日記」より

 

プライドの仮設は自らがプライドを運営・管理出来ていないので相手次第で突然プライドが消失してしまう。

 

例えば仕事であれば、退職によりプライドは消失するが、リストラ、倒産だと突然の消失が襲ってくる。


恋愛・結婚であれば事故、病気あるいは浮気等でタダ乗り先がいなくなった場合。


子供であれば同様に事故、病気あるいは家を出る場合等である。


また子供に対して「価値が無い」と判断した瞬間から子供に対するプライドが消失してしまう。

 

人間の寿命が伸びたとこで、これらの問題と確実に、しかも長期間向き合わなければならなくなったのである。

 


更に従来のプライドの確立も確実に難しくなってきている。

 

はじめに定義した通りプライドの確立に必要なのは「おおまかに上位10%に入ること」である。


では分母は何だったか。「興味を持っている人の数」であるが、ここには省略されている言葉がある。


「『自分の見える範囲』で興味を持っている人の数」である。

 

地方と都会の大きな差はここだっただろう。


あらゆる平均値や実力差が数値等では新聞等の情報源に登場するものの、田舎では実感できないのである。(同様に都会も田舎の現状が一切実感できていない)


結果、狭いコミュニティで小さなプライドが順調に育まれていく構図になっていただが、インターネットの拡大によって都会の分母が見えてしまい、田舎でのプライド醸成が不利になってしまったのだ。


また、生存バイアスによってプライドが維持できている人(もしくは嘘をついてでも維持しようとしている人)しか見える場所には投稿せず、結果として従来までのプライド形成の難易度がバカ上がりしてしまっている。


と、ここまで読んできたら疑問が生じると思う。


現代日本はどちらかというと就職率は上がり、童貞・処女率も上がり、結婚率は下がり続けている。本来ならばプライドの仮説が進んで結婚率は上がってしかるべきでは?」

 

そう。従来の方法ではプライドの形成の難易度がバカ上がりしているのは事実であるが、他の方法が確立した結果上記の現象を引き起こしていると考えられる。


その方法とは『趣味の多様化によるコミュニティ形成』である。

 

これまでの日本社会でのコミュニティの形成法は主に『家族制度』そして『地域』と『宗教』であった。


マジョリティを一つの"個"と捉え、その一員に自分を帰属させることでマイノリティより上の立場になったように自分を錯覚させプライドを維持する。


「右向け右の社会」と形容する人もいるが、私は「弱者がさながら鰯の群れのように集まって巨大なプライドを形成し、維持していく社会」であったと考えており、その弾き出された受け皿に活動家や(過激な)宗教が暗躍していたのではないかと考えている。
(温和な宗教の役割については後述する。)

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△巨大な『個』を形成する鰯の群れ



「どうして過激な活動をする人に高学歴な人が多く混じっているのか?」


いつもテロ事件が起きる度に取りざたされて、一切解答が出ないこの疑問への私の答えは「賢さ故に若くしてこの構造に疑念を感じているところに付け込まれたから」であると考えている。


恐らく他人から解答を与えられず、自分なりの解釈を出せたのであれば問題無かったのだろうが…

 


一方、現代ではSNS、ネットメディアを起点として趣味の多様化が引き起こされている。

 

ほぼほぼ個人でしかなかったマイノリティが群れをなし、興味が集まるコンテンツを次々と創出・発信し、コミュニティをうどのタケノコの如く発生させている。

 

そして先に書いた通り、新たなコミュニティでは比較的プライドが獲得しやすいが故に、「本来プライドを獲得できずに真っ先に仮設に走っていた層」がプライドを獲得してしまった。

 

故に、生きる上で不要な恋愛・結婚・出産によるプライドの仮設は減少してしまったと考えている。


その代わり「自撮り」によるプライドの安易な仮説が横行しているが…これは副作用というところであろう。

 

一例としてアイドルについては言及しておこうと思う。


これは私自身がアイドルについてやり込んでいるわけではないので甚だしい勘違いをしている可能性が高いが、アイドルについては言及せずにはいられないのである。


1グループあたりの人数が両手で数えれる程度のアイドルのファンは〇〇推しがいたとしてもほとんど衝突していないのではないか?


総選挙などするか?

いや、しない。何故か?


結局グループ自体を個とみなしてファンとなっているのではないか。


では多人数グループだとどうなるか…一人一人に"担当"がつく。これは一人に対するファンの総数がグループのファンの10%を下回り、グループの更に内部で細分化されてプライドの発生環境が整ってしまったからではないかと考えている。

 

故に多人数グループは現代において巨大なプライドを供給し続ける化け物コンテンツとなっている。


"神棚に毎朝拝むこととアイドルのポスターを毎朝眺めることは同等"である。

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△特定のアイドルを提示すると怒られそうなのでイメージ図です。

 


第5節 プライド分散


さて、現代におけるプライド運用の移り変わりを解説してきたところで、やっと本題となる「プライドの分散とは?」という話に入る。

 

「プライドの分散」とはここまで語ってきたような人間が生きていく上で決して切り離せない『プライド』を切らさないようにする手法の一つである。


お金の話であれば分散投資という概念があるだろう。

 

一点に投資すると巨大な財を成す可能性が高くなるが、その分大損を被りやすくなる、いわゆるハイリスクハイリターン状態となる。

 

投資を分散させれば、経済が上向き続ける限りは総利益が総損益を上回りやすく、逆に大損を被る確率がグンと低くなり、ローリスクローリターンながら破滅する可能性がグンと低くなる。

 

それをプライドで行おうというだけの話だ。

 

お金がなくなると破産したり、生活保護のお世話になったりと色々な救済策は存在するが、仮にプライドが全て消失してしまうとどうなってしまうのか。

 

簡潔に言うと「死ぬ」のである。


肉体的な死ではない。精神的な死である。

 

そして恐ろしい言葉が存在する。


「生きがい」である。

 

プライドの消失とは「生きがい」の消失であると言えば分かりやすいだろうか。

 


人間はプライド喪失による承認エネルギー枯渇の危機に遭遇した時、時に恐ろしい行動を取る。

 

仮設されたプライドの最も簡単な維持方法は暴力による支配である。


自分が優位であり、相手が逃げられない少人数のコミュニティー間での暴力での支配が最も簡単で効率が良い。

 

これが虐待やDVの構図となる。


本能的に自分を守る防御行動なのだろう。

 

また、承認エネルギー枯渇ラインは人によって異なり、自分の器に対して承認エネルギーの枯渇ラインがちぐはぐに設定されてしまっている人は大きな問題を抱えている。


具体的に言えば「親が偶然成功してしまい、才覚が環境に追い付いていない子供が大人になった際」にその状況が発生しやすい。


一山当てた中小企業のワンマン社長や、部下が優秀なだけだった大企業の管理職の子供がそれにあたると私は推測している。
一度観察してみていただきたい。

 


さてこのような恐ろしい行動を取ってまで守ろうとするプライドを失った際にすぐに「死ぬ」かどうかと言われるとそうではない。


プライドの消失の後の症状は段階を踏んでいくと考えている。


これについては「黒バス脅迫事件」で投獄された渡邊さんの冒頭意見陳述並びに最終意見陳述でもかなり言及されてるので、興味のある方は是非一度目を通していただきたい。

https://note.mu/t_17_kuma/m/m64d05a7b3216

△黒バス事件 最終意見陳述まとめリンク


ただし、以下に示すのは自分の経験を基に修整を加えて噛み砕いた解釈である。

 

 

プライドの消失
〇第1段階

暴力によるプライドの仮設の試み


これは"マウント"を取りまくる行為全般となる。ただ肉体的な力によるものでなく、言葉によるものや立場を笠にに着た行為も含まれる。


1対1で「相手よりとにかく上」というプライドの仮設を定期的に繰り返すことで、プライドを維持し続けるのだ。


日常的にそこら辺で行われていることであるのでいちいち問題視する必要は無いと考えているが、客観的な論理性が保たれているかが非常に重要な要素となる。


すぐに「私は悪くない」という常に自己を正当化して責任を逃れようとする思考に至るのはプライド全滅の危険信号である

 


〇第2段階
虚言による仮設の試み


プライドを保つために、客観的に見ると論理が破たんしたマウントを取るのだが、自分で薄々気付いてしまうがために、自分で自分に気付かせないように自然と虚言を吐く。


「虚言の病気による注目集め」もこの段階に含まれる。


これが虚言によるプライドの仮設である。


第1段階と同じような症状だが、こちらは虚言を吐くと同時に自らの信頼を放出していく構図となるので非常に危険である。


が、たまに虚言が上手く嵌ってしまいプライドが復活することがある。ミラクル。

そう考えると最適な行動なのかもしれない…

 

またここでもプライドを仮設するためにとにかく自己を正当化させようとするが、ここまでくると何をどう考えても自分が悪い構図が発生してエラーが起きてしまう。自分が悪いんだけど自分は悪くないのだ。


そうするとどういう行動を取るか?主語をひたすらでかくするのである。
〇〇(世間)が悪い。

 

こうなると〇〇が悪いと行き当ってしまった人たちが集まってまたコミュニティが発生してプライド復活チャンスが来る。


またこの時点で世間的な無関心状態に入ってしまっているので、優しくされると異常に弱い。宗教へ。

 

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△プライドを全て失った先にあるものは 「ドリフターズ」より


〇第3段階
無敵の人の発生


信頼を失い、全てのプライドから解放された、無敵の人が誕生する。


何せ無敵である。何をしてもいい。


しかし無敵状態になっても人は案外行動しない。


何故なら行動する場合は大概第2段階の時点で謎の行動を開始して謎のコミュニティに属してしまうからである。


また、プライドの仮設方法が充実している現代社会において、行動力が満ち満ちている若さで無敵の人まで到達する可能性は非常に低いと考えている。


よって事件を起こすような無敵の人は極端に少ないと考えられる。


あれ?こうはなりたくない!というのならともかく、全員助かってる(?)し、問題もほとんど起きない?
ならプライドを分散する必要性は無いのでは…?


さて、本質の話はここからである。

私はこのプライドがアルツハイマー認知症の発症に関連してると確信している。
胸を張って言えることではないが、もちろんエビデンスは無いただの一個人の妄言である。


ただの状況証拠みたいな話なので何にも根拠と言えるものが提示できない。


しかし、10年以内には取り沙汰されるんじゃないかと考えてるので、もしそのような報道があった場合は思い出していただきたい。

 

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△プライドの消失が人間の生命活動の終着点なのかもしれない。 「LIMBO THE KING」より

 

皆さんはアルツハイマー認知症と聞くとどういう症状を思い浮かべるだろうか?

 

・怒りっぽくなる。
・言ったことをすぐ忘れる。
・徘徊するようになる。

 

アルツハイマー認知症は一般的にアミロイドβタンパク質という成分が脳に蓄積しすることで神経細胞を破壊すると考えられてきた。また、他の原因としてタウタンパク質という繊維質が絡まり蓄積することも原因と考えられてきたが、その両方の蓄積を薬で阻害したとしても症状が改善することが無かった。


つまり、タンパク質の蓄積は過程でなく結果だったのだ。

 

では、「認知症になった」際のトリガーは何なのか…?

 

・夫または妻が亡くなった。
・子供が出て行った
・足が折れて歩けなくなった。
・仕事を辞めた

 

が主ではないのか…?

逆に考えてみてほしい。


「会社の経営者がアルツハイマー認知症になったから引退した」なんて話を聞いたことがあるか?


少なくとも私は無い。

 

楽しく趣味をしてる人が
「ボケたからあの人はこなくなった」
と聞いたことがあるか?私は無い。

 

「畑をやめた後」「役職を退いた後」はいくらでも聞いたことはあるが少なくとも先に書いたプライドが仮設出来ている状態で認知症に陥った事例は見たことも聞いたことも無い。


また、ここのところ頻繁に聞く話はで利尿薬の使用によりボケるという話がある。これは尿を漏らす確率が格段に増え、本当の意味でのプライド(尊厳)が傷つけられるためであると考えている。

 

いずれの事例もプライドを急に崩壊させたことがトリガーとなったと考えられないだろうか。


私は昔犬を飼っていたのだが、白内障が進み、耳の病気をした後に急激に弱ってボケた。


家の中で暴れたり徘徊したりし続けるのだけど、その中の行動で非常に驚いた行動があった。

 

家の中で自ら登れる最も高い場所に登り(ソファ)、ひたすら落ちようとするのである。

 

その際に考えた。仮に人が認知症になって徘徊するようになった場合、自然界だと通常どうなるのか。あの行動にどのような意味があるのか。


そりゃ当然、速やかに落下死か、ケガを負って天敵に襲われて死ぬ。

そこで私は仮説を立てた。


アルツハイマー認知症はこの世に必要の無くなった自らを死ぬことへの恐怖を和らげる自己防衛機能が表れているだけなのでは…?」

 

つまり


怒りっぽくなる。 ←プライド消失第1段階
言ったことをすぐ忘れる。 ←プライド消失第2段階
徘徊するようになる。 ←プライド消失第3段階

 

これがプライドの仮設の崩壊によって高速で起きているだけなのではないか…?
ここまで仮説を立てて「ならどうすればいいか」はまた複雑な話になってくるので後の理論で語ることとする。


ここまで長い話に付き合っていただけたら私が何が言いたかったかご理解いただけるかもしれない。


『プライドの分散は人間の自死機能発現への防衛手段である。』

 


第6節 プライド分散のススメ

 


一番最初に書いたように自殺を咎める気は一切無いのだけど、色んな才能が社会に飲み込まれていくのを見てただただ悲んでいる。

 

楽しいことがなくても、好きなことがなくてもじっくり腰を据えて眺めて欲しい。


蛭子さんも「好きなことが見つからないときは、とりあえずお金を稼ぐんですよ」と言っている。

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蛭子さんもこう言ってる




変化に対するアレルギー反応だらけで予想よりは変わらなかったとはいえ、この平成の30年で世界は急激に変わった。


マスメディアが価値を作り出さなくても個人がどんどん価値を創出できる環境ができた。

 

いつ好きなものが出来てもいいように準備をしとくべきだ。


それがあなたの可能性を育み、新たなプライドの確立に繋がることだろう。

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△あなたの蜜を見つけくれ 「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」より

僕は『ルサンチマン』のようなバーチャルセックスを体験するまでは少なくとも死ぬ気はない。


PS. 私はこの認知の歪みを引き起こすメカニズムを科学するのが認知訶学だと考察してるんだけど、どうだろう。違うか。

 

◆リンク

第2章 世界ランク理論

https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011111

 

第3章 シャブセックス理論

 https://mekasue.hatenablog.com/entry/2019/05/02/011125

何故僕はキャサリン・フルボディというゲームに可能性を感じているのか。― 配信用ゲームとeスポーツの視点で見る「キャサリン」 ―

はじめに軽く自己紹介をすると、私はそこらにいる格闘ゲームを主にプレイするゲーマーだ。
ジャンルは問わず、アクション、RPG、カードゲーム、シュミレーション、パズル、FPSRTS、最近ではロケットリーグを遊んでいる。
過去にはMMOに大ハマりしたこともある。
残念ながらMOBAは水が合わず(友達がおらず)、練習するだけしてみて離れてしまっている。

 

そんな僕がこの1年、少し狂気じみた熱量で布教活動を行ってるゲームがある。

アトラスから2011年に発売されたPS3/XBOX360用ゲーム「キャサリン」だ。

なんと今年の2月14日に新作である「キャサリン・フルボディ」が発売予定である。

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△バレンタインデーに発売日をぶつけてきた「キャサリン・フルボディ」

 

今回筆を取ったのは

「何故、今、キャサリンをこれだけ推すのか?」

という自分なりの考えをまとめるためである。

 

<目次>
①ゲームとしてのキャサリンの画期的さ
②配信用ゲームとしてのキャサリン・フルボディのポテンシャル
③対戦ゲームとしてのキャサリンの熱さ・凄さ
④パズルゲームの大衆性と対戦ゲームとしてのキャサリンの可能性
⑤まとめ
⑥宣伝

 

タイトルの"配信用ゲーム"の文字に反応した人は②
"e"の文字に反応した人は③④だけでも見ていただけたら嬉しい。

 

 

①ゲームとしてのキャサリンの画期的さ


皆さんにとって、好きなゲーム、面白いと思うゲームは数多あると思うが、
「画期的なゲーム」といえば何を思い浮かべるだろうか。
僕は

GUNPEYスプラトゥーン、そしてキャサリンの3本だ。


最初に「GUNPEY

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ワンダースワンで発売された名作パズル「GUNPEY

ワンダースワンという携帯ゲーム機で最初発売されたこのゲームはいくつものリメイク版が作られた。


CMで流れてくるのは小気味の良い「繋いで消すのがグンペイだ♪」というフレーズ。

 

僕がはじめてこのフレーズを聞いた時、「繋いで消すのはテトリスだろ?」と思わず突っ込んでしまったのだが、実際にプレイしてみて分かった。「繋いで消すのがグンペイ」であり、「揃えて消すのがテトリス」なのだ。

 

何者にも変えられないキャッチコピーとゲーム性。
単純だがこの後に「GUNPEYっぽいゲーム」と言われるゲームは結局出ておらず、唯一無二の存在であったと言える。


次に「スプラトゥーン

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任天堂が生み出した21世紀のモンスターコンテンンツ。

散々やりつくされ、限界かと考えていたFPSというジャンルに「陣取り」という要素を加えることで全く別のゲームにしてしまった。

 

FPSに感じていた限界というは、「結局エイムが速いかどうかで、それが得意なプレイヤーしか残っていないのではないか?」という疑問を払拭できなかったことであった。


一方スプラトゥーンはというと、相手との打ち合いが苦手なプレイヤーに「陣地を塗る、逃げ回る」といった役目を与えることで主観的にも客観的にも「役目を果たせた」と感じさせることができている。
(もちろん相手を倒すのが直接的損害を与えられて重要なのだが)

 

この発明は、故・横井軍平氏の「枯れた技術の水平思考」的発想の産物であり、2つの作品には同じ魂が乗り移っているのではないかと考えている。


最後に「キャサリン

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△アトラスが生み出した怪作。今回の主題

このゲームは一言で表すと「シンプル」である。


良質なアドベンチャーパート、豪華な声優陣、添えられているのは「ブロックを押したり引いたりして、上に登っていく」だけの驚くべき中毒性を誇るパズルゲーム。

 

それだけにもかかわらず、当時の複雑化が進むPS3のゲームで全世界100万本出荷を達成してしまった。

 

甘いマスクと魅惑のボイス、無駄の無い肉体とまさに本作に登場する「キャサリン」を体現した作品にみんな魅了されてしまったのである。

 

物事を創造する際に最も難しいのはシンプルなものを創ることであると考えている。

もしかしたら唯一の贅肉(チャームポイント?)が後述するコロシアム(対戦)モードだったのかもしれない。

 

 

②配信用ゲームとしてのキャサリン・フルボディのポテンシャル

前作「キャサリン」が発売した2011年はまだ配信や動画投稿は規模が拡大し続けていた時代であり、配信動画の視聴という文化は大衆まで広まっていなかった。


近年、ピアキャスニコニコ生放送、Twitch、Youtubeと裾野を広げていき、Youtuberという存在も確立された。


2018年はデジタルなキャラのガワを被ったVtuberも拡大し、広告効果も実証されてきたため、配信という分野はまだまだ拡大し続ける市場であろう。

 

PS4による配信の簡易化も影響し、配信の障壁が無いに等しくなり、昨今では「配信に向いているゲームかどうか」はゲームを選ぶ上での選択基準の一つにもなっている。


このゲームには大きく分けて3つのパートがある。
アドベンチャーパートパズルパートそしてもう一つが踊り場パートである。

調度先日プロゲーマーのときどさんがPS3版のキャサリンの配信をしていらっしゃったので、そちらを例に解説していこう。

 

アドベンチャーパートは大人の修羅場ストーリーと共に、各キャラクターとの会話イベントが楽しめるパートである。


美麗なアニメ部分は言わずもがな、実況者の腕の見せ所であるサブストーリーも充実しており視聴者も楽しめるパートであろう。

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△流石のCERO:C。アドベンチャーパートにはドキっとするシーンが目白押し。

 


次にパズルパート。これは試行錯誤しながら登頂・クリアを目指すパートであるが、これまでは大きな問題が一つ存在していた。

 

パズルパートが難しすぎたのである。


普段からゲームをやり慣れている人なら問題無いだろうが、なじみの無い人には正直厳しいと思われる。


一つのステージを長時間クリアできないと、視聴者のイライラも溜まっていき、最悪クリアが出来ないなんてことも十分起こりうる。

 

しかし、今回「キャサリン・フルボディ」で実装されたSafetyモード、これが凄い。
登頂の障害となる罠ブロックが無くなるだけではなく、なんと自動登頂機能すら完備されている。

 

つまり、はじめから「30分をリミットとし、リミットが来たら自動登頂を使用する」という風に決めておくことで詰むこともないし、配信時間も読むことができる。


一人でストーリーを楽しみたい人はもちろん、配信者に配慮した革新的なモードであると言えないだろうか?


最後に踊り場パート


これはパズルパートのステージの間に挟まってくるパートで、サブイベントのフラグ管理や、ゲーム中のテクニックを習得したりするのだが、最後に「告解の部屋」と呼ばれる場所で究極の2択の回答を迫られる。

 

PS3版のキャサリンでは、告解の部屋で問われる質問の回答をインターネット上で回答比率を集計し発表するという機能があり話題となったが…

 

恐らく「キャサリン・フルボディ」が極めて配信向きと言える理由がここにある。

 

配信では、この究極の質問に対する"世間"とのやり取りがリアルタイムに行うことができるのだ。

 

問いかけられる質問はランダムであり、内容も個人間で意見が分かれるものが多い。

 

視聴者からの質問に答える放送を作っているYoutuber(Vtuber)も多いが、キャサリン・フルボディの質問はより演者の内面に向けた、より視聴者が求めるであろう質問が飛んでくるため、盛り上がることは間違いないし、生放送で思わぬハプニングが生まれる余地が十分ある。

 

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△放送前週にボンちゃんが結婚発表。ときどさんは質問に思わず「ハメたろ?」の声。答えは…?

 

また、前作のPS3版キャサリンはストーリーのネタバレ厳禁の関係上、7ステージ目以降の配信は禁止されており、配信可否のラインを心配する声もあったが、「キャサリン・フルボディ」では配信不能領域までくると自動的に配信ができなくなるので、安心して配信してほしい。

 

 

③対戦ゲームとしてのキャサリンの熱さ・凄さ

 

キャサリン・フルボディではオンライン対戦モードが実装予定であるが、これを聞いた大部分の人はこう言うだろう。

 

「そもそもキャサリンって対戦モードなんかあったっけ?」

 

無理もない。前作の対戦モードはゲームクリア特典のおまけモードであり、そもそもコントローラーが二つ無いとプレイすらできない。

 

言っちゃ悪いが(僕のような)一人用ゲームが好きで友達が少ないプレイヤーでは遊ぶことすら難しいのだ。

 

しかし、そんなマイナーなゲームモードに目をつけた人々が存在した。


アメリカやオーストラリアでキャサリンの大会は細々と開催され、熱量を帯びていったシーンはついに2015年にアメリカ・ラスベガスで毎年開催されているEVOという世界最大の格闘ゲームイベントのサイドイベントの一つとして採用されたのだ。

 

 

最終的にはその熱はこの文章を書いている私に伝播し、日本で開催されたEVO Japanでもサイドイベントとして開催され、東京でも定期的に対戦イベントを開催出来るまでになった。

 

その熱量に関しては、1分程のプロモーションビデオを2本も作成してしまったので、
それをご覧いただいた方がいいだろう。

 

 

この対戦モードを遊んだことのある人は一様にして「面白い」と称すのだが、何故面白いという評価になるのかそのゲーム性以外にも大きな理由がある。

 

この対戦モードをプレイしている時点で既にキャサリンというゲームが上手いのである。

 

格闘ゲームで言えばコンボ練習、パズルゲームであれば連鎖の練習。


本来高度な対戦を行うために必要ではあるが、習得に苦痛を伴う基礎にあたる部分が、
その面白くも難易度が高いストーリーモードをクリアするだけで全て身についてしまっているのだ。

 

対戦モードを初めてプレイする時点で中級者同士の戦いとなる。
そりゃ面白いわけだと思う。

 

興味を持った人は対戦モードの解説動画を作成しているので、参照していただきたい。

 

 

 

④パズルゲームの大衆性と対戦ゲームとしてのキャサリンの可能性

 

ゲームといえば多種多様なジャンルが確立されてきたが、その中で最も単純なジャンルが「パズル」であると思う。


体力も魔力も特殊ゲージも無く、攻撃ボタンも防御ボタンも存在しない。

 

大抵がが十字キーとボタン一つで遊べてしまう。

 

古くからのゲームの歴史を語れるほど詳しくは無いので、そこは専門家に任せるが、少なくともスマホゲーが大衆に広がる中、私の回りの老若男女がはじめてハマったスマホゲームは「パズドラ」か「ツムツム」であり、そこから複雑なゲームに派生していった。
(最近ではポケモンGOなのかな)

 

パズルゲームはその単純なゲーム性と奥深さからいつの時代もゲームという文化への大きな入口であったと思う。


さて、対戦ゲームという観点でキャサリンを見てみよう。

 

競技として遊んでいく上で絶対的に大事なのは「人口」である。

これはマイナー競技が常に抱える悩みであり、eスポーツ界隈でも例外ではないだろう。

 

各種MOBAやバトルロイヤル、FPSスプラトゥーンは圧倒的なプレイ人口の上に成り立っている。


一方、1vs1を主流とした日本では比較的メジャーな格闘ゲーム界隈はどうだろうか?

 

ここに2018年のゲームソフト年間売り上げランキングを示そう

(引用:Game Compassより ファミ通ランキングの集計)

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△赤枠は対戦要素のあるゲーム、青枠は任天堂から発売されたゲーム

 

 

対戦可能なゲームでは任天堂タイトル、または複数vs複数のタイトルが多く、
1vs1のゲームはフィジカルスポーツを題材としたゲームに限られる。


次に2015年~2018年の格闘ゲーム売上本数の表を示す。(拾い物)

 

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△上位は任天堂作品が占める。スマブラの発売前の集計である。

 

やはり圧倒的なのは任天堂の各ゲーム。そして2018年、格闘ゲーム界を席巻したドラゴンボールファイターズでさえも10万本に届かない…


それではキャサリン・フルボディの予想売上はどのくらいになるだろう?

 

アトラス作品は、P3、P4、世界樹の迷宮といった各タイトルの完全版や続編はタイトル毎に売り上げ本数が大体安定しているという(脅威的とも言える)データがある。(Wikipedia調べ)


それを考慮すると、キャサリン・フルボディの予想本数は少なく見積もっても国内約20万本…

 

しかも前作・今作共にCERO:Cのため、任天堂ゲームユーザーの中心であろう小中学生を除いたプレイ人数である。


・大衆性が高いパズルゲームというジャンルで

・完成された対戦モードを使用して

・キャサリン・フルボディをプレイしたがるような約20万人ものコアゲーマーが

・同じスタートラインに立って一斉にオンライン対戦を始める

 

この事実が2019年という現代で起こるのがどれ程凄いことか。

 

目の前にハレー彗星が飛んできたかとすら思った。


キャサリン・フルボディの対戦モードはゲーム業界における完全なブルーオーシャンである。

 

⑤まとめ

 

①~④に記したことを以下にまとめる。

・全世界的に認知されている優れたゲーム性。
・かなりの売上が予想されており、プレイヤー人口の多さが保証されている。
・国内でほぼ枯れているに等しかった、大衆性のあるパズルゲームというジャンル。
・時代に添うように改善され、大きなポテンシャルを持つ配信性。
・世界最大の格闘ゲームコミュニティーから認められた秘めたる競技性。
・ストーリーを楽しみながらゲームルールを覚えることで第一線に参入できる障壁の低さ。


私は現代のゲームに必要と考えられる全ての要素がこのゲームに詰まっていると考えており、今後どう発展するか楽しみに見守っていこうと考えている。

以上が私からの精一杯のプレゼンテーションである。

 

 

⑥宣伝

さて最後まで興味を持って読んでいただいた方に宣伝です。

こんだけ激推ししている「キャサリン・フルボディ」の世界最速(?)大会が、福岡で開催される格闘ゲームの祭典EVO Japan 2019のサイドトーナメントに採択されました。

 

ー開催概要ー

日時:2019年2月16(土) 11:00~

場所:福岡国際センター

参加費:無料

豪華優勝賞品や、豪華ゲストも…!?

参加登録サイト・詳細はこちら↓

docs.google.com

 

奮ってご参加いただけましたら幸いです。

 

ではまた。