今回は日本に根付いている観戦・観劇文化からゲーム観戦・観劇ってどうなってくの?というのを真面目に考察・実践してみたという話です。
この話は「こみゅリポ Advent Calendar2021」の企画に賛同して書いてます。
普段のブログの延長線と言えばそうです。
「こみゅリポ Advent Calendar2021」は、最近よくお世話になっている大会開催支援ツールである「Tonamel」のコミュニティマネージャーのさとけんさんが話を聞きたい人を呼んできて、毎回色々な事例の話を聞くLT会である「こみゅリポ」という番組に付随したものです。
ジャンル問わず様々なゲームのコミュニティリーダー達が思い思いの取り組みや思想について書いてくれるので毎回面白いですよ。
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さて、本題に移りましょう。
■観戦あるいは観劇の形
大きく分けると以下の3種類じゃないかと思う。
ケース①:体育館なりスタジアムなり劇場なり、開催場所の現地等
ケース②:自宅、あるいは友人宅等で放送を見る
ケース③:スポーツバー、あるいは特定の施設でのパブリックビューイング等
ケース①は地元の少年野球の観戦から何万人と収容できる場所でのサッカー観戦まで様々
不特定多数の人と現地で観戦する形式である。
ケース②はクローズドな場所で1人~いいとこ10人レベルで集まって遠隔から観戦する場所。
使用されるのは主にテレビやラジオであり、最近だとDiscord等のグループでのボイスチャットツールを利用して行われているケースもある。
ケース③は不特定多数の人々と一緒にオープンな場所で集まって遠隔から観る場所。
この先の話はこのケース①~③について其々どういった事が行われてるか整理しながら書いていく。
■各国における観戦文化の差は?
恐らく世界で最もメジャーなスポーツは『Football』、すなわちサッカーである。
『競技人口はバスケットボールの方が多いのでは?』みたいな話もあるが、今回は観戦についての話なのでgoogleさんに「most popular sports in the world」と入れた時に出てくるサッカーということにしとこう
サッカーに関してはかなり観戦文化の解析みたいなものが進んでおり、2019年にかなり面白いレポートが編纂されている。
日本、アメリカ、ドイツの国別のスポーツ観戦文化に関するレポートだ
このレポート中には、観戦者が重視する項目を14に分けてその重要度のアンケートを取っている。
特に面白かったのがその比率である。
まず、日本だと圧倒的に重視されているのは試合の観戦そのものである。
これはある種当然であり、比較対象であるアメリカ、ドイツでもかなり関心度は高い。
一方、アメリカでは試合そのものが一番ではなく、事前情報や試合直前までの選手紹介等が観戦体験に大きく作用しているという。
これも単純な話でアメリカはスポーツ観戦をショービジネス一種として明確に捕らえており、事前の盛り上げから観戦までを『体験』としてパッケージングしているからであると推測される。
アメリカンフットボールの最終戦である『スーパーボウル』では、その試合内容以外にもハーフタイムのショーに非常に比重が重かったりもするし、メジャーリーグは名シーンの切り抜きを積極的にSNSに共有し、試合前の選手紹介等にも力を入れている。
(前述の調査報告書の中ではハーフタイムショーに関してネガティブな報告となっているが、あくまでケース①の現地観戦の場合であり、データは明らかなのにもかかわらず続いているのはケース②や③の体験にプラスかつ話題作りには影響しているから続いているのだろう)
観戦文化においてSNS上での話題作りに貢献しているのは間違いなく近年発展してきた『数値化による可視化』もある。
例えばメジャーリーグでは『スタットキャスト』と呼ばれるボールと人の動きを追跡してデータ化するツールを積極的に活用し、その動画が「何故凄いか」の可視化に成功している。
『数値化による可視化』については以前カードゲーマーのちょもす氏が考察していたが、日本でも将棋において導入されたAIによる戦況の可視化と類似しており、非常に興味深いところだろう。
一方、非常に高速な競技の場合単純に素人には何が起こってるか分からない状況が発生する可能性がある。
代表例とも言えるフェンシングでは、積極的な凄さの可視化を推進されており大きな進歩を見せている。
試合映像のリプレイは世界中にこうやって、流れるはずでした。
— 太田雄貴 YUKI OTA (@yuking1125) 2021年8月17日
残念ながら、交渉も含めて難航し、
なんとか会場内に流せたら、無観客😞
東京オリンピックの競技✖️イノベーションの代表として世界中の人に見て欲しかった😭 pic.twitter.com/1Hx8vP8PvJ
こういった可視化の取り組みはサッカーのレポート中にもあるように「観戦そのもの」に最も重点を置く日本人に向けた取り組みとして大きな効力を発揮すると思われる。
■競技の種類によって観戦法は変わるのか
結論は明らかで、間違いなく「変わる」。
チームスポーツはチャントのような声出し、鳴り物が響き渡るが、個人競技になると試合中は比較的静かになる。
テニス等も試合中は基本的に静かで、ポイントの時に応援が入るぐらいである。
本来チームスポーツの方が選手間での意思疎通が重要となるため、観客は静かにしとく必要性があるような気がするが、そうではないというのは奇妙な点ではある。
よく言われる『観客も含めてチーム』という言葉があるが、「声を出す」という行為が最も場への影響力が強いからかもしれない。
ゴルフ、あるいはアーチェリー等といった一人で行う競技に至っては集中力が重視されるため、選手のプレイ中は観客が言葉を発する事は基本的に許されない。
ただ、以上の観戦法はケース①の現地観戦に限った話である。
「声」の制限の無くなったケース②や③だとどうなるかというと、例えばテレビだとほぼ間違いなく実況または解説者が登場する。
野球等と比べたら静かになるかもしれないが、声を出すタイミングは制限されなくなる。
仲間内やスポーツバーで見る会話も自由であるし、予想や応援も自由である。
一方、「静かに見たい人」は大体一人で見るだろう。
または「ただ好きで見ている」のならばやはり一人で見てもいいはずだ。
わざわざ集まろうとする要因は何なのか?
集まる理由としてば、何はともあれ「会話がしたいから」という理由がほとんどの場合で挟まると考えられる。
(「一体感を得たいから」といった理由も「同時に声をあげたいから」に言い換えられると考えている。)
ケース③で一人で見る人は、ほとんどの場合で寂しかったり雰囲気が好みだったりするのだろう。
パブリックビューイングの会場形式はどんな競技であろうと似たような感じになっているのを見るに、ケース②あるいはケース③においてはどのような競技でも観戦方式は似たような形態に落ち着くのかもしれない。
■日本に定着した観戦文化は?
まずフィジカルスポーツにおいて明らかに定着しているのは、野球および相撲だけだろう。
サッカーも頑張ってはいるものの、これだけクラブチームが増えた今十分に黒字運営出来ているクラブは少ない。
流石にコロナ禍の2020年以降のデータで議論するのは酷なので、以下の2019年度のデータを参照する。
記事の「19」という数字はJ3も含んでいるため仕方が無いとは思うが、J1クラブで5チーム赤字、かつ選手に対する給料も明らかに野球ほど大きくなく比較的厳しいというのが実情であろう。
ではその定着している野球における観戦文化とは何か?
大前提として昔から人気のあったセントラルリーグで考えると、ずっとゴールデンタイムにテレビ中継をしていた事が最も影響が大きいのは間違いないだろう。
また関係性として読売ジャイアンツを筆頭として、そのライバル格として存在している阪神タイガースの存在があり、東対西の代理戦争という側面も持っていた。
一方、阪神タイガースはというと7回の攻撃の際にジェット風船を飛ばす文化がある。
ラッキーセブンと呼ばれる7回にジェット風船を飛ばす文化は広島、横浜にも伝播し、各球場の観戦名物となっていた。
また、東京ヤクルトスワローズの名物といえば同じく7回に行われる『東京音頭』の合唱と傘降りである。
このような7回における合唱はメジャーリーグでも通例行われており、メジャーの場合は「Take me out to the Ball Game」をどの場合でも歌うことになっている。
各球団、各々特色のある名物観戦方法を持っているわけだ。
一方相撲はどうだろうか?
これもまた大前提として、野球と同様にNHKで全日放送されていたという点が極めて影響が大きいだろう。
観戦形式はというと、1vs1の試合であり、その他の格闘技、例えばボクシングの試合と同様に観客から大きな声援が送られる。
その中で特色のある観戦文化といえば、平幕力士が横綱を破るような大金星・あるいは名勝負が繰り広げられた際に巻き起こる『座布団の舞』だ
ジェット風船の場合はグラウンド内に風船が落ちてもお構いなし(掃除するので)だが、座布団の舞の方は度々議論が交わされる。
一時期にいたっては4kgを超える「投げれない座布団」も検討されたが、それでも投げる奴がいた場合極めて危ない事もあり、現在は採用されていないようだ。
投げる理由は主に『文化だから』だというが、往々にしてそういうものは「そっちのが面白いから」と言い換えられる。
以上の「日本に根付いてる観戦文化」を観察すると、大前提としてケース②およびケース③の状況で「誰でも見れる環境が整っていた」という点がまず大きい。
何故誰でも見れる環境が整っていたかというと、テレビ放映が維持できる程金銭が動く層、すなわち中高年の興味を惹けるジャンルであった事が主な要員であると考えられる。
また、何故中高年は観戦にお金を払ったかまで掘り下げると、「瞬間的に観劇より高い刺激性を持ったコンテンツであった」という事が大きかったのではないか。
そしてケース①の場合は一体感の演出の他、場に影響を与える体験型のアクティビティが存在する点が共通項ではないかと推測している。
■日本で定着した観劇文化は?
歌を主体とした劇、例えばコンサートやミュージカル等はケース①の代表例として行われ続けている。
これらは「音」が主役のため基本的に観客は歓声をあげたりはするものの、基本的に眺めるのみである。
ただ近年明らかに増えてきたのは光る棒を持ったり、タオルを回したり、ヘッドバンキングをしたりと一体感を楽しむアクティビディである。
また、コンサート等では観客とのコール&レスポンスは必ずといっていい程プログラムの中に組み込まれ、大体名物となっている(コロナ禍でこの辺は制限されるだろうが…)
代表的なのは氷川きよしの「きよしのズンドコ節」等だろうが、田村ゆかりのライブではとんでもない長台詞を観客が熱唱するという訳の分からない事になってたりもする。
(参考動画は転載系しか無かったので省略)
一方、劇で言えばどうだろうか。
例えば漫才や落語といった喜劇はそれ単体でも成り立ってはいるが、客の笑い声や拍手という要素を加える事で完成する。
ウケない漫才は観客共々地獄である。
サーカス等もそうだろう。
日本の伝統芸能で考えると、能や歌舞伎といったものがあるがこれらは観客は舞台に干渉するのはほぼ不可能だ。
「いよっ中村屋!」といったようないわゆる「大向こう」と言われるの掛け声は、劇を完全に熟知している常連にのみ許された行為であるからだ。
言い方は悪いが「人を静かに観劇させるもの」は声を発する必要が無いくらい著しく感情を昂らせるものであり、映画はそれにあたるし、最たるものはエロ動画かもしれない。
何故宝塚歌劇は長年静かに人を惹き付け続けるかはある種そういう要素を持っているからと推測している。
そういう意味で多くの人の感情を昂らせやすい要素や工夫がある文化は次々と新たに産まれ、若い世代にも受け入れられ、生き残っていると考えられる。
静的な鑑賞がメインであるテレビやYoutubeがほっといたら過激化していくのはそのせいもあるだろう
何なら昨今の映画が極端に音+映像のミュージカル要素頼りになりつつあるのも、ある意味刺激の過激化の結果なのかもしれない。
■Youtuberを観劇文化と捉えるならば
日本ではこの十数年で「会いに行けるアイドル」として、ファンが場に影響を及ぼす事が可能なアイドル像が確立され、現在は配信における投げ銭、いわゆるYoutubeにおける『スーパーチャット』がその文化を継承している。
世界のスーパーチャットランキングは日本のVtuber勢が圧倒的であり、文化的には日本で先行して浸透している文化と言えるだろう。
人気ゲームの配信もスーパープレイよりかはみんなが知ってるゲームである。
スーパープレイをしている人気配信者も全員エンタメの才能に恵まれている事は否定できないだろう。
動画配信文化の飛躍は、国民のほぼ全員がスマートフォンという小型PCとモニターを手にした事にある。
お茶の間にしか無く、免許を持った放送局しか放送出来なかったテレビ番組がほぼ全員に自由に送受信可能になった事により、観劇・観劇番組が先にあげたような金銭を持った中高年向けに作成する必要が無くなったのだ。
当然テレビで動くような莫大な金額が動く事は無いが、小さな放送グループが生活していく程度の金銭的価値は産み出せる土壌が形成可能であるため成り立っている。
動画配信による観劇文化はNETFLIXやAmazon Primeを見るに既に一定の市場規模に達していると考えられるが、観戦文化という面ではまだまだと考えてる。
先に述べたような、観戦自体が観劇と比べて感情を昂らせるのが難しいのが大きな理由だろう。
観戦による感情の昂りは偶然の産物である事が非常に多く、常に狙って昂らせるようなエンターテイメントを提供するのは困難だ。
ただし、観戦が商売レベルまで落とし込めてないのは、金銭の持っている中高年層が未だにテレビから移動しきれていないからだけであると考えられるため、遅かれ早かれ観戦文化も配信の方に移動してくるし、現在既に移動中だろう。
観戦文化の定着で鍵になるのは恐らく『スタンプ』の文化である。
既に観戦文化として完全に定着した代表例は盆と年末に行われている「RTA in Japan」という一大イベントだろう。
(言うなればゲームの決勝戦だけの詰め合わせみたいなもんなので”観劇”というより”観戦”寄りと考えている)
RTA in Japanは同時視聴者数18万人に達する程の人気イベントとなっているが、その特徴はスタンプの使い方である。
スタート時は「GL(Good Luck)」、完走時は「GG(Good Game)」というスタンプが必ず雨霰のように貼られ、RTAにありがちな壁抜けや詰み要素等がある時に貼られる便利なスタンプが各種用意されている。
近年ではスポンサーになっているアパレルメーカー「無敵時間」にちなんで、ゲーム中でキャラクターが無敵状態になった際には「無敵時間さん!?」という掛け声が定着したり、ゲーム中で1 pixel単位のビタ止めの事を「Pixel Perfect」と呼ぶ文化が定着して後々スタンプ化されたりと、リアルタイムで新しい観戦文化を形成し続けている。
これらスタンプはコメント欄を通じて視聴者やプレイヤーにまで干渉するサイリウムであり、ジェット風船であり、座布団の舞に他ならない。
観戦者は自分もジェット風船が欲しいので自然とサブスクライブするという流れで非常に健全なマネタイズがなされている(運営元は一般社団法人なので収益は寄付に回されているものの)
決まった流れのある一つのゲームの大会ではなく、基本的に無秩序な動画配信において「今、このタイミングなら声を発していい」というタイミングを準備してあげて定着させたのは見事という他あるまい。
Vtuberであれば定例の挨拶か口癖あたりであれば使えそうではある。
決まった時間に皆で「バルス」と打ち込むような恒例化が一つの鍵である事は間違いなさそうだ。
今でこそYoutubeが主要な動画投稿フォーマットとなったが、一時期は後発のニコニコ動画が天下を取っていた時期がある。
何故ニコニコ動画がウケて軌道に乗ったかも、視聴者のコメントが動画上に流れる事により場に用意された対して干渉可能だった事が大部分を占めるだろう。
あれもまたサイリウムであり、ジェット風船であり、座布団の舞だったと考えられる。
以上の考察より
1)目の前の『劇』が与える興奮+自発的に発する興奮の和が重要
2)観戦、観劇場所やジャンルの違いによって得られる興奮の比率が異なるため、現地でも放送上でも自発的興奮が得られるような仕組み作りをする事が重要
であると言える。
当然の結論に帰着したとも言えるかもしれない。
■いざ実践
ちなみに上記の事は今回のように言語化はしてなかったものの、ある程度考えてはいたので実践してみた事がある。
私は以前『キャサリン』というゲームで対戦会や大会を主催していた事があるのだが、その理由の一つにその観戦文化に大きな衝撃を受けたからであった。
その文化とは、対戦中の『自撮り』である。
PS3版の『キャサリン』は対戦中にある一定条件を満たすと(割と簡単に)勝ち確定状態を形成する事が出来る。
確定だから投了すればいいのだけども、わざわざ自殺してゲームを終わらせるのも面白くないので、その時間を使って仲良く写真撮影タイムに突入してもらおうという事である。
写真を投稿すると喋るきっかけにもなるし、SNSでの交流を深めるきっかけにもなるし、大会の宣伝にもなるという一石三鳥の文化だったが、次第に写真の中に観客も入るという文化が形成され、今までプレイヤーしか干渉出来なかったゲーム大会に観客までアクセス出来るようになってしまった。
また、観客がワっと移動するもんだから「なんだなんだ」と周りの人も移動してくる。
「ここが見所なんだ」と分かりやすくアピールしてくれるこの文化は正直一石六鳥くらいの舞台装置となっていた。
この文化はあまりにも凄すぎる上にキャサリン以外のゲームに輸出するのが難しいため、残していきたい文化ではあった。
しかし、新作『キャサリン・フルボディ』発売の際に諸々の仕様が修正されてしまったがために残せなくなってしまった。
困った話である。
先に述べたように観劇と異なり、観戦で視聴者を留めるのは非常に難易度が高い。
理解度が低いゲームの観戦において自発的な興奮はまず得られる事が無い上に
場が大興奮するような分かりやすいスーパープレイ等そう易々と発生しないからだ。
つまり新しい舞台装置を考えなければならなくなったのである。
2019年冬、福岡で行われた格闘ゲームの祭典「EVO Japan 2019」内で行われたキャサリン・フルボディのトーナメントの準備をしていた私は非常に頭を悩ませた。
発売とほぼ同時に開催され、絶好のプレイ人口拡大の機会である。
ゲームは面白い。これは間違いない。
初期のプレイ人口さえある程度確保出来れば段々と減っていったとしても皆の記憶に刻まれる。
パズルゲームは自転車の運転みたいなもんで、操作自体は簡単なので何十年経っても覚えている。
最終的に一時的にプレイヤーがいなくなってしまったとしても、未来で必ず遊ばれるだろう。
『パネルでポン』等もそうだ。いまだに遊ばれていたりする。
でもそこに引き込むための強力な舞台装置が消えてしまった…
無くなってしまったものは仕方が無いので、代案を考える事にした。
大会を開きながらどのタイミングでプレイヤーや観客にアプローチすべきか?
試合中が一番いい。理想である。
しかし試合中にプレイヤーの集中力を削ぐわけにはいかないし、集中してるプレイヤーに対して観客からのアプローチは難しい。
逆に最も避けたいのは試合後である。
勝敗や試合内容によってはかなりナイーブになってお気持ち爆弾が発生してしまう可能性がある。
逆に試合前ならその心配は無い…
その時、電流が走った。
試合前にやる事。それは握手である。
この部分を『キャサリン・フルボディ』のゲームにちなんで『ワイングラスで乾杯』に出来ればいいのではないか。
つまり、
・慣れない新鮮な様式 ⇒ 会話の成立
・「チーン」という会場に似つかわしくない音の発生 ⇒ 周囲への干渉(観客の客寄せ)
更には記念写真も撮ってもらってSNS受けも狙う事が出来る。
完璧なプランである。
完全に天才的発想だと確信して100均に小さなワイングラスとぶどうジュースを大量に買いに走り、車に積んで福岡まで持ち込んだのだった。
しかし当日…机の上に置いたぶどうジュースが入ったワイングラスで乾杯して始めてもらうようにアナウンスしても誰一人として応じてくれなかったのである。
何故か?
・対戦開始前にステージ選択があり、その作業に集中したい。
・賞品が豪華な事もあり、かなりガチになってしまった。
・机の上に精密機器があるので、机の上に飲み物があると集中出来ない。(どけてくれと言われた)
・そもそも誰のものか分からない液体が入った物を持ちたくない。(致命的)
なるほど~~~~~そらそうだ~~~~~
こうして私の"完璧"プランは脆くも崩れ去ったのである。
しかしながら試合開始時に目をつけたのは割と正しかったと今でも考えている。
『Good Luck』的な何かを人は必ず求めているのだ。
そこに「いってみましょ~~~~~」と言ってる人もいるが、もう一歩先に進める気がしているのである。
新たな天才的プランを思いついてしまった人は是非とも試してみて欲しいところである。
■VR観戦会に考えた事をを取り込むと
昨今このような観戦文化のステージを一つ上げるにはどうしたら良いかと考えている。
要はケース①の場合は現地で工夫をするしかないとして、ケース②の自宅または友人宅での視聴とケース③のパブリックビューイングは共にネット上での動画観戦にほぼ移行しつつあり、昨今ではDiscord等での通話鑑賞やミラー配信視聴に皆行き着き始めていると推測している。
つまりこのケース②、③の部分においてVRを用いれば自発的に発する興奮を上げる作用をブーストする事が可能である。
と、いうわけで割と頻繁にらいらい君が(@rairai7280)がVRChatに作成したホームに導入されている仕掛けを見てみよう
ヤマシタさんが優勝した時のVRCの様子です(平日月曜朝6時) pic.twitter.com/qEH6yYNo8C
— ながくら (@nagakura_FAL) 2019年11月18日
①巨大パブリックモニター
VRChatで一般的に使用されている動画プレイヤーは、YoutubeおよびTwitchの動画、あるいは配信をミラーする事が可能である。
画面サイズはワールドの製作者の小手先次第であるが、らいらいホームの場合はちょっと大きな映画館程度のサイズと思ってくれていい。
大迫力での観戦が可能だ
②声の指向性および減衰機能
「みんなで見るならDiscordでいいじゃん」と言われるが「違うんだよなぁ…」となるのはこの機能である。
画面に向かってみんな思い思いの場所から喋るため、声に指向性が出る上にアバターもリップシンクに対応しているためより実在性が増すのだ。
正直「観戦は全部VRでいいな」と思わせる大部分の要素である。
③ミカちゃん
海外のUNI勢が応援の時にいつも持ってるミカちゃんの顔だ
押せば「んゆ~」と鳴くし、ブン投げれば彼方に飛んでいく。
早い話がミカちゃんをジェット風船として、座布団の舞として使用しているわけである。
ブン投げよう。
鴨音さんには謝っとこう。
今年はストリートファイターリーグが面白いので割と高頻度に集まって見てます。
興味がある人は一緒に見ましょう。
以上。
VR上での取り組みに関しては翌日12/5に投稿予定のbukkieさんが一歩も二歩も先の取り組みをなさっているので面白い話を読めると思います。
それは皆さん、楽しいeスポーツ観戦を。